鉄道

2007年1月 5日 (金)

大阪市交 今里筋線

 きのうの朝は、いつもの時間に目を覚まし、いつもの時間に家を出て、いつもの時間の電車に腰を下ろしたところで気がつきました。ーあ、きょうの出勤時間は11時半だったー
 浮いた2時間半をどうやって過ごそう、と思っていたところ、思いだしました。クリスマスイブに開業し、あのぴたポン!も宣伝していた、今里筋線にまだ乗っていない。ということで今里駅へむかいました。

Imazatosen_train 今里筋線の乗り場は、千日前線ホームの北西、少しはなれたところにありました。ホームには新線らしく、転落防止の柵が取りつけられています。軌道を見ると、2本の線路の間には銀色の帯が設置され、この電磁石と車両の磁石との反発を利用した、リニアモーター駆動になっています。おなじくリニアモーター式の長堀鶴見緑地線のとよく似た、色違いの車両が入線していました。
Imazato_sta 長堀鶴見緑地線の車両に乗るといつも感じたのは、その狭さです。座席に腰掛けると、むかいのロングシートに座った人と足がぶつかりそうになります。しかし、今里筋線の車両に入ったときは、そう感じませんでした。それはこの車両に小生ひとりだったからでしょう。きょうは仕事初めの日の朝8時半です。学生が休みとはいえ、これで採算取れるのでしょうか。
 甲高いインバータの音を響かせながら、列車は滑りだしました。

Zuiko4tyome_sta 途中列車は、蒲生四丁目、瑞光四丁目という駅を通過します。以前長堀鶴見緑地線に乗っているとき、大阪府で生まれ育った友人に、なぜ蒲生に「四丁目」が付いているのか、なくてもいいじゃないか、と聞いたことがあります。帰ってきた答えは、天神橋筋六丁目が「天六」と呼ばれるように、蒲生四丁目は「がもよん」と昔から呼ばれているので「四丁目」ははずせないのだ、というものでした。
 そしてこんどは瑞光四丁目駅の誕生です。これも「四丁目」が必要なのかと聞くと、これはなくてもよいのでは、とのことでした。地図を見ると、瑞光一丁目が阪急上新庄駅前にあたるので、あえて「四丁目」をつけたのではと推察するのですが真相はいかに?
 この地名はおそらく近くにある瑞光寺に由来するのでしょうが、小生は「四丁目」はつけないほうがよかったと思います。縁起のいい駅名として、記念入場券を売りだすことができるので…。

 さて、列車は井高野駅へ到着しました。4両編成の列車に最後に乗っていたのは、小生ともうひとりでした。このまま戻ってもおもしろくないので、改札を抜け、阪急相川駅まで歩くことにします。地上に出ると、あたりは団地と住宅ばかり、ショッピングセンターさえありません。そんな中に見つけたのが銭湯の看板。もしかしたらこの団地ができた当時、各部屋には湯船がなかったのかもしれません。
Aigawa_river 西へ歩くと淀川の支流、安威川に沿う道に出て、さらに歩くと相川駅に着きました。その間15分弱、井高野ってそんなに不便なとこじゃないな、と思ったのですが…。ホームで列車を待っていると、特急、そして急行に通過され、ようやく梅田行きの普通列車に乗ることができました。やっぱり不便なところかもしれません。

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2006年11月20日 (月)

TXとゆりかもめ

 東京では、まだ乗ったことのない鉄道にも乗ってきました。5月に乗りそびれたゆりかもめと、昨年夏に開通したつくばエクスプレスです。
Yurikamome_toyosu ゆりかもめは初日の夕方、世田谷美術館の後に乗りにいきました。新橋からだとよい席に座れないと思い、豊洲へむかいました。
 東京メトロの豊洲駅を上がると、3月に延伸したばかりの、目指すゆりかもめの豊洲駅がありました。ここで軌道はとぎれていましたが、先端が左に曲がっており、今後さらに延びるのではないかと期待させられます。調べてみると、晴海、勝どき方面への延伸計画があるようです。
Yurikamome_yukei 駅に上がり、改札階からさらに上がると、2つのホームにはどちらにも車両が入線していました。せっかくわざわざ乗りに来たのです。先頭かぶりつきの席が空いている「つぎ」の列車に乗ることにしました。その席から撮った、豊洲に入線するゆりかもめです。

 さて列車は豊洲を出ると、まだ空き地がある埋め立て地を進んでいきます。やがて運河を渡り、右にテニスの聖地、有明コロシアムを見ながらさらに進むと、これまでの終点、有明駅へ至ります。あとはこれまで2度通ったことのある路線ですが、改めて羽田に着陸する飛行機の多さに驚きました。レインボーブリッジを渡り、ループをたどり、乗客を増やしながら、やがて新橋へ。東京の夕景を楽しむことができました。

 翌日、東博を堪能した後、徒歩で秋葉原へ。そしてつくばエクスプレスの、15時30分の快速でつくばをめざします。改札を通るときに気づいたのですが、この路線はもともとJRの路線として計画されていたにもかかわらず、使用できるのがSuicaではなくパスネットカードであることに、どうも違和感を感じてしまいます。新線といえども、すでに足として定着しているようで、出発の時間には、席はほぼ埋まっていました。
Tsukuba_sta 列車は北千住に至るまでは地下を走り、その後も度々トンネルや切りとおしを通ります。北総開発鉄道や東葉高速鉄道に乗ったときは、早いうちから田畑を見ることができたのですが、意外にもこの路線は、埼玉、千葉県内でそれを見ることは難しく、茨城県内の守谷に至るまで待たなければなりませんでした。
 やがて左に筑波の山並みを見ると、列車は地下にもぐり、終点のつくばに到着しました。最後まで車両ががらがらになることはありませんでした。

Asakusa_sta 当初はバスで都心に戻るつもりでしたが、なにか乗り足りないので、帰りも乗ることにしました。右は下車した浅草駅のホームに入る列車の写真です。

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2006年10月10日 (火)

湖東三山めぐり(下)滋賀の鉄道

 尼子駅へ戻ると、駅の傍らを新幹線の500系が走り抜けていきました。その騒音が意外に静かなのには驚きました。すぐ来た列車は近江八幡行きで、そのまま終着まで乗ることにします。
 この季節、近江鉄道に乗っていて目立つのが、沿線のヒガンバナの赤です。線路のそばだけでなく、近くの田んぼのあぜ道まで勢力を伸ばしている所もあり、穂を垂れた稲のうすい金色によく栄えています。
 列車は八日市から八日市線に入り、クラブ活動帰りの高校生を乗せ、近江八幡に着きました。

 近江八幡で30分休憩をとり、近江鉄道の残りの区間を乗りに行きます。次の列車は、日に2本しかない貴生川行きで、そのまま貴生川へむかいます。八日市では乗客の8割が下車し、夕暮れの田園風景の中を走り、貴生川に到着しました。

Sigarakikogentetudo 貴生川からは、ローカル鉄道がもう1路線出ています。旧国鉄信楽線の信楽高原鉄道です。次の列車までほぼ1時間あります。腹ごしらえをしようにも、駅の周りで食べ物屋を見つけることができませんでした。しかたなく通り沿いにコンビニを見つけ、肉まんを購入しました。
 アイボリー地に緑のライン、タヌキのイラストが入った2両編成のワンマンカーが、ホームを離れるころには、すでに日はとっぷりと暮れていました。沿線に光は少ないのですが、左右に方向を変えながら、山中をディーゼルエンジンをうならせ登っているのがわかります。どうやら高原鉄道の名は嘘ではなさそうです。次の紫香楽宮跡まではかなり距離がありましたが、その後はこまめに停まり、信楽に到着しました。

Sigaraki_racoon ここからは帝産バスで石山に出られますが、その最終バスが出るのがまた1時間後。そして信楽には、タヌキの置物こそたくさんありましたが、やはり駅の周りで食べ物屋を見つけることができませんでした。しかたなく通り沿いにコンビニを見つけ、おにぎりを購入しました。
 バスは少し遅れて、信楽駅前にやってきました。乗客は2、3人。1車線の山道を走り、着いた石山には食べ物屋がありました。しかし小生のお腹はすでにいっぱいでした。

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2006年10月 9日 (月)

湖東三山めぐり(中)湖東三山

 駅に戻り多賀線に乗り、高宮で30分近く待ちあわせ、新幹線が左窓に近づくと次は尼子です。出雲尼子氏発祥の地だそうですが、ここから湖東三山へのシャトルバスが出ています。バスはご開帳アクセスきっぷを持ったひとで満席になりました。まずは一番近くの西明寺をめざします。

Saimyoji_sando 龍應山西明寺は平安時代の始めの承和元年(834年)、仁明天皇の勅願により、三修上人が建立しました。山門をくぐり受付で拝観料を支払い、名神高速をまたぎ、石段をひたすら上ります。最後の急な石段を上り、二天門をくぐると、正面に本堂、右に三重塔がありました。どちらも国宝に指定されていますが、まずは右の三重塔を間近に見にいきます。

Saimyoji_sanjunoto 三重塔は高さ23.7m、鎌倉時代後期に造られたそうです。檜皮葺きの屋根は、上層が下層とくらべあまり小さくなっていないため、重量感がありました。釘を使っていないそうですが、その軒下の組み物はみごとで、しばし見とれてしまいました。

Saimyoji_hondo そして本堂です。こちらは鎌倉時代前期に造られたそうです。靴を脱ぎ、左側面から外陣に入ります。中ではお寺のかたが解説をされていました。
 内陣には周りに、十二支をそれぞれ頭上に頂いた十二神将が、その内側に脇侍(わきじorきょうじ・ご本尊の両脇に安置される仏像)の日光菩薩、月光(がっこう)菩薩が、そして中央のお厨子の中に、ご住職一代で一回限り、51年ぶりに開帳されたご本尊がお祀りされていました。

 ご本尊は薬師瑠璃光如来立像で、左手に薬壺をお持ちです。三修上人が刻んだと伝えられる赤松の一木造りで、11頭身の均整のとれたお姿、威厳のある表情をされています。そしてなによりも見事なのが、通肩(両肩にかかる衣の着かた)で召された衣のドレープです。逆アーチ型をしたひだの、ひとつひとつが違った厚みになっており、写実的です。この日お参りした仏さまの中で、最も印象に残りました。 

 名勝の庭園を見たあと、次のシャトルバスで金剛輪寺へむかいます。

Kongorinji_sando 松峰山金剛輪寺は天平13年(741年)聖武天皇の勅願により、行基上人により建立された古刹です。こちらも西明寺同様、参道は長く急で、年配のかたはさぞかし大変だろうと感じました。しかしそのおかげで、織田信長の焼き打ちから本堂が守られたのですから、逆に感謝しなければならぬのかもしれません。参道の途中からは、両側に千体地蔵が祀られ、華の代わりに風車が供えられていました。最後の急な石段を上り、大きなわらじが飾られた二天門をくぐると、正面に本堂が、左の丘上に三重塔がありました。

 三重塔の屋根は檜皮葺きで、周りは楓の木に囲まれ、間近に寄らないかぎり全体を見ることはできません。こちらも三層目の屋根が大きく、重量感、圧迫感があります。一層目の内陣が開け放たれ、中には大日如来が安置されていました。その上の織上小組格天井が新しいので、不思議に思っていたのですが、32年前に大改修を受けているそうです。

Kongorinji_hondo そして国宝の本堂へ。鎌倉時代、元寇の際に祈祷したところ勝利したため、その霊験に感謝して建てられた和様の建物で、屋根は檜皮で葺かれています。左側から靴を脱いで外陣へ入ります。中ではご住職によるご説明がありました。
 ご本尊は聖観音。カヤの木の一木造りで、6年ぶりの公開です。行基上人がこの像を刻んでいたところ、像の腰のあたりから血を流したことから刻むのを止めてお祀りしたそうで、この故事から、生身の観音様として信仰を集めました。円空仏のような素朴な表情をたたえられ、ノミの跡が荒々しく残されていました。

Kongorinji_teien 帰りに名勝の庭園に立ち寄りました。池の上に建てられた茶室、水雲閣や、船形の石、灯籠などが、楓などの緑に囲まれ見事でした。

 茶屋でそばを戴いたあと、シャトルバスで百済寺(ひゃくさいじ)へむかいました。

Hyakusaiji_niomon 釈迦山百済寺は今から1,400年前の推古14年(606年)、その名のとおり百済からの渡来人のために、聖徳太子により創建されたと伝えられています。平安時代の末には大寺院となりましたが、2度の大火と信長の焼き打ちにより、現在の規模になったそうです。巨刹だったころの名残が、参道の石垣などに残されています。
Hyakusaiji_hondo 参道は今までの2ヶ寺と比べると短く、わらじが掛けられた仁王門をくぐった正面に見える、石垣の上に本堂がありました。靴を脱ぎ正面から中に入ると、ご住職が説明をされていました。

 ご本尊は十一面観世音菩薩立像。西明寺と同じく住職一代に一回限り、55年ぶりのご開帳です。「植木の観音」と呼ばれているのは、創建当初のご本尊が、聖徳太子により立ち木のまま刻まれたという故事によります。現在のご本尊も木造で、藤原時代の作とされています。
 秘仏であったため、まだお体に塗られた金色が残されています。高さ3.2mの巨像ですが、外陣からはその足下は拝することができません。お顔立ちはふくよかで、童顔の相撲取りのようです。その頭上には10の顔の一部を、はっきりと伺うことができます。手は長く、左手に持たれた水瓶はひときわ大きなものでした。
 両脇に安置された如意輪観音、聖観音の二体の座像は丸いお顔立ちで、優しい表情をたたえられていました。頭部の宝冠など、飾り物も見事でした。

Hyakusaiji_teien 本堂左側の鐘楼で鐘を突き、音色を楽しんだあと、本坊喜見院の庭園に寄りました。四角い飛び石のある池を渡り、築山の上に登ると、遠く琵琶湖方面を見渡すことができました。

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2006年10月 8日 (日)

湖東三山めぐり(上)多賀大社

 今年は伝教大師最澄が天台宗を開いて1,200年。そこで湖東三山といわれる天台宗寺院では、9月18日から10月27日まで、秘仏のご本尊を一斉公開しています。そこで紅葉で混雑する前にと思い、9月30日にお参りに行ってきました。

 大阪から乗った快速は、乗らずに済ませた新幹線を左に見ながら、8時21分米原駅に到着しました。早起きは三文の得、といいますが、50分の早起きで自由席特急券代2,410円を節約できました。
 ここで「近鉄」こと近江鉄道のホームを探しますが、表示がありません。さきほど車内で線路が右側に見えていたので、南側の改札を出ると、正面に駅がありました。ただ新しいホームがJRの改札内にあり、将来乗り換えが便利になるようです。きっぷ売場で湖東三山ご開帳アクセスきっぷ(¥1,100)を買い、改札を抜けます。このきっぷで近江鉄道全線とシャトルバスに乗れ、それぞれの拝観料が50円引きになります。
Omitetudo 黄色に塗られた電車は2両編成で、西武鉄道のお古でした。昭和42年製造の表示があり、小生と同年代、もう40年近くも走り続けていることになります。人の年齢に直すと百歳近いと思われる年寄電車は、地元客とハイカー、数名の鉄道趣味者を乗せ出発しました。山側に寄り道をして、右に彦根城を見ながら彦根へ。近郊のかたはこちらからの利用が便利でしょう。
 彦根から2つめの高宮で下車、待ちかまえていた多賀線の電車に乗り、次が終点の多賀大社前です。駅前の橋を渡り左へ折れ、古い建物が残る門前町を抜けると、左側に多賀大社がありました。

Tagataisha 多賀大社は「お多賀さん」の名で親しまれている古くからの社で、「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と古くから謡われているように、伊勢神宮の主神である天照大神の親、伊邪那岐命、伊邪那美命をお祀りしています。また親子関係から、多賀大社に詣でてから伊勢神宮に詣でる習慣もあったようです。ちなみに小生は1年前に伊勢神宮に詣でたので、順序が逆になってしまいました。
 入口部分は工事中で、アーチを描く太閤橋には近寄ることができません。神門をくぐり手水で手を洗い
檜皮葺きの拝殿で参拝します。多賀線に乗り換えたときから、正装をした年配のかたが多いなと思っていたのですが、喜寿のかたの莚寿祭をやっていたようです。
Tagataisha_nobutai
 拝殿に向かって右手の能舞台では、狂言の練習を行っており、ついつい見入ってしまいました。

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2006年9月18日 (月)

室戸、大歩危めぐり(下)

Kazurabashi1_3 8時ちょうどの南風6号で四国山地に分け入り、着いたところは大歩危駅です。ここから四国交通のバスで山道を分け入り、峠をひとつ越え、祖谷川を渡り、かずら橋で降ります。祖谷川への下り坂を歩き、川を渡る手前を左に入ると、かずら橋の料金所がありました。ここで500円を支払います。

 かずら橋は弘法大師が造ったとも、平家の落人が造ったとも伝えられています。落人伝説を信じるとすると、最初に架けられたのは800年ほど前ということになります。橋の両側を見ると、手前側はほぼ自然のままですが、向こう側はあきらかに人の手が入った石組みになっていて、ここに橋を架けた人たちの苦労が忍ばれます。
Kazurabashi2 実際に渡ってみると、怖いのは揺れや高さよりも、透き間の広さでしょう。踏み外しても川面に落下することはないでしょうが、股間をしたたかに打つことはまちがいなさそうです。ということで足下を確かめながら、一歩一歩渡ります。途中で後ろから数人が渡って来たので、さらに揺れが増してきました。

Biwanotaki_1 渡り終わって左に進むとすぐ右側に、一筋の滝がありました。琵琶の滝です。落人たちが琵琶を奏でて、都での昔をなぐさめあったという言い伝えからこの名があります。後でネットで調べると、滝が二筋になったものもあるので、水量の多いときはそうなるのでしょう。

 再びバス停の近くに戻ります。まだ10時ですがせっかく祖谷まで来たので、そば屋でざるそばをいただきました。平べったいこしのあるそばでした。そのそばを食べながら今後の予定を確認します。まずは温泉、この近郊にはケーブルカーで行き来する、温泉旅館が2件あります。1件はここから歩いてすぐのところですが、そばで満腹の身に風呂はこたえます。もう1件は歩けば1時間程度かかりそうで、そうなると今日中に帰阪できない可能性もあります。そこでバスで来た途中にあった公営の「祖谷秘境の湯」に行くことにしました。
 徒歩で戻り、祖谷川を渡り、祖谷ふれあい公園のモノレールで遊び、公園前のの坂を上ると左にそれはありました。さっそく湯に入ります。露天風呂が4人でいっぱいの小さな湯船でしたが、そこに至る斜面を吹き抜ける風が、湯でほてった体を心地よく冷ましてくれました。

Obokekyo バスの時刻にあわせて建物を出て、大歩危峡へ向かいます。みやげ物屋の1階で1,050円のチケットを買い、階段で吉野川へ下ります。船は定員10人程度の小舟で、靴を脱いで乗り込みます。今日も日差しは強く、シャツをかぶって風景を愛でることにします。
Obokeicecream_1 水で侵食された結晶片岩は迫力があり、その白さと碧色に光る水面が対照的でした、ただどの方向を見ても、道路の橋脚などの人工物が目に入るのが残念でした。

 帰りにラピス大歩危に立ち寄り、「大ぼけアイス」と「ザすだち」を購入。アイスクリームは卵の味が強めで堅く、すだちジュースはすだちの香りつきのスポーツドリンクという感じでした。

Anpanmancar_1 大歩危駅から南風20号で阿波池田へ、そこで乗り換えた剣山10号は3両編成のディーゼルカーで、中間車は「ゆうゆうアンパンマンカー」というチャイルドルームになっていました。吉野川に沿って徳島へ向かいます。

 さて、徳島での目当ては当然徳島ラーメンです。小生はあまりラーメンが好きではありませんが、徳島ラーメンは、たとえラーメンが2番続いても食べる価値があります。駅前通りを進み、ほぼ突きあたりを右へ。しかし以前行ったことのある目あてのラーメン屋は、5時で閉店していました。
 肩を落として駅前まで戻ります。本屋のガイドブックで調べても、駅の近くにラーメン屋はありません。あきらめて他の食べ物屋を探していると、目の前にラーメン屋があるではありませんか!
 ここの徳島ラーメンも、豚骨スープはほどよく濃く、餃子は昨日食べたものより数倍おいしく、満足したのでした。

 19時40分、バスは徳島駅を出ました。すぐに寝てしまいましたが、明石海峡大橋を渡る手前でうまく目が覚めました。橋を渡るときの明石から神戸の夜景は、これまで見たどこの夜景にも負けず劣らず、見事なものでした。

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2006年9月15日 (金)

室戸、大歩危めぐり(中)

 甲浦(かんのうら)から、安芸営業所行きの高知東部交通バスで、室戸岬をめざします。途中左窓にはサーファーでにぎわうビーチや漁港が現れます。
 右窓に高く白い弘法大師の像が見えるともう室戸岬はすぐです。次のバス停で下りようと思ったところ、バスはバス停がないところで停車しました。お遍路さんがいたので、24番札所である最御崎寺へ行ける山道の入口前で停めてくれたのでした。

P1010242_1 寺参りは後回しにして、いまバスで来た道をひき返し、バスの右窓から見えた2つの洞穴をめざします。天狗岩という奇岩の前をすぎると、それはそこにありました。御厨人窟・神明窟は、弘法大師が修行をされた洞窟で、ここからの海と空の眺めから「空海」と名乗るようになったと言われています。右の鳥居があるほうが修行の場の御厨人窟(みくろどくつ)、左が寝起きをした神明窟(しんめいくつ)で、どちらも奥行きはそれほどでもありません。神明窟の中に入ると、コウモリのキイキイという泣き声が響き、足下にはカニがあるいていました。ここで寝起きをするのはさぞかし大変だったのでは、といらぬ心配をしてしまいました。

 海沿いの岩場を貫く遊歩道を進み、さきほどバスが停まったところから山の小道をたどります。その距離は600m強。湿度が低いので、ほとんど日陰のこの道は快適なはずなのですが、200m進むと息が切れ、400m過ぎると汗ばんできます。息も絶え絶えになってこの道を登りきると、立派な仁王門がありました。

P1010263_1 室戸山最御崎寺(ほつみさきじ)は大同2年(807年)に、弘法大師により創建されたと伝えられています。境内には仁王門のほかに、大師堂、鐘楼、多宝塔、本堂などがあり、奥には宿坊(ユースホステル)もあります。鐘石という、たたくと金属音がする石もありました。
 参拝した後、八十八箇所霊場の御朱印でも新たに集めようかと、納経所をのぞいてみたのですが、大判の高い納経帳しか置いていませんでした。残念。

P1010268 仁王門の左下を通る道を左に進むと、灯台がありました。室戸岬灯台です。レンズの大きさ(2.6m)光達距離(30.5海里=56.5m)とも日本有数で、明治33年(1899年)の完成で歴史的価値もあることから、保存灯台Aランク23基の中にも数えられています。ただ灯台が大きすぎるためか、景色はもうひとつでした。

 先ほどの小道を下り、国道へ戻ります。岬の南端近くの国道沿いに、木製の展望やぐらが併設された観光案内書があり、中で海洋深層水を使ったアイスもなかを買って、やぐらの上で食べました。アイスクリームが堅めで、ほんのりと塩味がするもなかでした。そういえば昼食がまだだったっけ?
P1010238 岬の先端と思われるあたりを見た後、さらに北にむけて歩きます。道路沿いの植え込みにはハイビスカスの赤い花が無数にさいており、アゲハチョウの類が舞っています(写真はアオスジアゲハ)。このあたりには自然が残されているようで、蝶だけでなくとんぼも大型のヤンマの類が飛び、最御崎寺への小道ではカナヘビが数匹横切り、袖口にはいもむしがしがみついていました。その類を見ると、小生の心は瞬時に童心に帰ってしまいます。

P1010285_1 9月でも日差しは強く、右側からさんさんと照りつけてきます。このままでは小生の顔はキカイダーになってしまうので、襟つきシャツを脱ぎ、頭からかぶり、ひたすらてくてく歩いて室津の集落をめざしました。その途中こんなものを見かけました。これってたぶんバス停ですよね?塩害がひどいのでしょうか?時間表が縛りつけられているので、おそらくバスは停まってくれるでしょうが、これがなかったら、ほんとうにバスが停まるか、きっと不安になるでしょう。

P1010288 ようやく室津の漁港にたどり着きました。「土左日記」の紀貫之が帰京の際、台風を避けるためにたち寄った港だそうですが、この港を照らす高台にあるのが、第25番札所の宝珠山津照寺です。港からまっすぐ石段がのび、小さな釣り鐘がある中国風の鐘楼門をくぐり、さらに右にあがったところに本堂がありました。

P1010296_2P1010290_2 この寺は地元では津寺(つでら)と呼ばれ、本尊の延命地蔵菩薩は港の守り本尊、揖取地蔵として親しまれています。お参りをすませて鐘楼門をのぞいてみると、中には千社札か貼りつけられています。中にはこんなかたのもありました。
 国道沿いの持ち帰り用すし屋で巻きずしを3個買い、バスの中でようやく昼食にありつけました。

P1010308_2 奈半利からは土佐くろしお鉄道で、高知に向かいます。1両編成の(列になっていない)普通列車には、やなせたかしさんデザインの各駅のマスコットがちりばめられていました。ロングシートの山側に海を向いて座ると、新しい鉄道のわりには海が見える場所が多く、窓からは海と空しか見えない、という区間もありました。
 後免からJR土讃線に入ると、上り列車との待ちあわせを増やしながらも、ディーゼルカーはスピードを上げ、高知駅へ滑りこみました。

 晩ご飯を探しに街に出て見ましたが、酒が飲めない小生は、行く場所が限られています。9時をまわると店じまいするところも多く、結局ラーメン屋に入り、ラーメンと餃子を注文しました。ラーメンはまずまず、餃子ははずれでした。

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2006年9月 8日 (金)

室戸、大歩危めぐり(上)

 思い立って徳島、高知に行ってきました。

 7時15分、定刻にバスはJR難波を発車しました。乗れてよかった。
 7時前にJR難波に着いて、2階のバスターミナルに上がり、きっぷを買おうとしたところ
「席は完売しております。次は8時15分になりますが…」
さてどうしよう?バスを1時間待つよりも、梅田か舞子に行ったほうが早く着くかもしれないな…などと考えはじめた時
「もしかしたら鉄道駅のみどりの窓口できっぷが買えるかもしれませんが」
と天の声。
 急いで地階のみどりの窓口に駆けつけると
「あと9席残っています」
ということで、無事このバスの乗客となることができました。

Onaruto_bridge バスの中で菓子パンの朝食を食べたところで眠気が。寝不足のせいで世界最大の吊り橋にも気づかず、意識が戻ったときにはまもなく四国、大鳴門橋にさしかかっていました。
 気になるのがバスの到着時間です。徳島での乗り換え時間は10分ですが、どうやら数分の遅れが生じているようです。バスは吉野川を渡り、駅へと着実に近づいているようですが、時計は着実に時を刻んでいきます。そして徳島駅へ着いた時は4分遅れ。急いでみどりの窓口できっぷを購入、無事2両編成の特別急行「剣山4号」に乗りこめました。

Tokushima_muroto_kochi_ticket ところでこのとき購入したのが「徳島・室戸・高知きっぷ」、四国限定発売のきっぷです。徳島から室戸岬経由で高知まで2日間有効で、特急の自由席にも乗れ、途中下車も自由で5,500円。帰りはオプションで阿波池田経由の「付属きっぷ」が購入可能で、こちらも同条件で2,700円。もしこのルートを特急を使わず、途中下車なしで乗った場合、往路が5,490円、復路が3,080円なので、それだけでもお得です。

 「剣山4号」は徳島市内を抜け、中田(ちゅうでん)という駅を過ぎると、左窓に遊歩道が見えます。小松島港線の廃線跡です。
 四半世紀前までは大阪から徳島までの交通手段といえば、南海本線で和歌山港まで出て、フェリーで小松島港まで、そして小松島港駅から国鉄で徳島まで、というのがあたり前でした。しかし1985年(昭和60年)に小松島港線が廃止、1998年(平成10年)に明石海峡大橋が開通、ということで本日小生が乗ってきた高速バスがメインルートとなりました。現在はフェリーが着く港も、徳島港に変わっています。

Mugi_station 阿南を過ぎると、左手にときどき海を見ながら進みます。そして列車は牟岐へ、ここから「剣山4号」は普通列車に変わり、地元の高校生が乗ってきました。本数こそ少ないものの、豪華な通学列車ですね。
 すでにヘッドマークは「剣山」から「むろと」につけ替えられています。

Kannoura_station 終点の海部(かいふ)に着き、向かいのホームへ移動します。ここまででJR牟岐線は終わり、ここから牟岐線の延伸予定区間をひき継いだ、阿佐海岸鉄道の路線です。すぐに1両のディーゼルカーが入線、十数名の客を乗せて出発です。次の宍喰(ししくい)駅前の小学校には「祝 上田利治先輩 野球殿堂入り」の横断幕が見えました。そして次が終点、甲浦です。

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2006年6月18日 (日)

富山めぐり(4)富山ライトレール

P1010109 黒部を巡った翌日9日(土)、駅前のホテルで朝食をとり、9時前に出かけます。富山駅の北口に出ると、ヨーロッパの街を思わせるような、真新しい路面電車に出会うことができます。今年の4月29日に開業した、富山ライトレール株式会社のポートラムです。
 この路線は今年2月までは、JR西日本の富山港線として運営されていましたが、新幹線開業にともなう富山駅の高架化の際に、駅の南側を走る、富山地鉄の路面電車線に乗り入れることを前提に、新しく生まれ変わりました。

P1010113 さっそく乗り込んでみると、座席は日本の路面電車にありがちなロングシートではなく、前向きと後ろ向きの座席の組み合わせになっています。運転席はレバーをがちゃがちゃ回すタイプではなく、JRや大手私鉄の電車と変わりません。これがとても日本製だとは信じられません。運賃は基本的には全区間大人200円ですが、改行からの1年間は、日曜祝日と平日の昼間は100円で乗ることができます。そのせいか、はたまた本数が今までの4倍以上に増えたせいか、終点の岩瀬浜到着の時でも、席は乗客でそこそこ埋まっていました。

P1010115 また駅舎は東岩瀬をのぞいてほとんど壊され、替わりに右のようなシンプルな屋根つきベンチが置かれていました。ベンチ背面には、個人も含めそれぞれの椅子のスポンサーが刻まれ、バックにはその駅にまつわる話と、大きな広告がはめこまれていました。

 で、乗車後の感想としてひと言。路面の新線区間は、もう少し電停を増やしてもいいのではないか、せっかく街の中心部を走っているのにもったいない、と思いました。

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2006年6月17日 (土)

富山めぐり(3)黒部峡谷鉄道

P1010092 いったん欅平駅の改札を出て、窓口に並びます。あらかじめ運賃と指定料金を振り込んでいたので、乗車号車の指定をうけます。指定を解約して、ここか鐘釣の温泉にでもと思ったのですが、雪解けが遅かったので営業開始が遅れているようです。やむを得ず直接宇奈月へと向かいます。

 改札を再び抜けると、しばらくして2両の機関車に引かれて、12両の客車がやってきました。そのうち指定車両は宇奈月側に4両あり、その2両目に乗り込みます。自由席の車両は屋根があるだけで窓なしの吹きさらしで、特別車といわれるわが指定者は開閉できる窓があります。

P1010101 鐘釣まではトンネルが多く、右に黒部川を見ながら進みますが、鐘釣橋を渡ると宇奈月まで、川は左を流れます。やがて水量が徐々に増え、出し平ダムの脇を通ります。戦前から開発されていた黒部川の遺産です。笹平駅を過ぎると少しで後曳橋を渡ります。写真では解りにくいかもしれませんが、高さ60mで、かつて入山者が後に曳きさがったことからこの名があるそうです。
P1010103_1
黒薙駅に到着
駅員さんも敬礼
 
 
P1010106 川の右岸に、赤い頭巾をつけた仏石を見ながら、やがて列車は宇奈月ダムのダム湖にさしかかります。本流の青い水と、流れ込んだ土色の雨水が混じりあい、不思議なグラデーションになっています。

P1010108 やがてダムを過ぎ、宇奈月の温泉街に近づいてきます。左岸にあるホテルの従業員が10人ちかく、こちらに手を振っています。これからホテルに来てもらおうという宣伝でしょうか?

 列車は宇奈月に到着しました。この路線は762mmのナローゲージ(狭い軌道幅)の鉄道では、日本最長なのですが、以外に揺れは感じませんでした。この鉄道が客を乗せはじめた昭和初期には、切符の裏に「命の保証はしません」と書かれていたそうですが、今では命の心配はしなくてよさそうです。

 宇奈月では温泉会館で一風呂浴び、富山地方鉄道の鈍行で、とろとろ富山まで戻りました。ひなびた農村と艶やかな麦の金色が対照的でした。

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2006年6月16日 (金)

富山めぐり(2)黒部ルート

 黒部ダム駅からは、関電トンネルをトロリーバスで進んで、扇沢へ出るのが普通ですが、今回は別のルートをたどります。

P1010037 富山県の要請により、平成8年から関西電力の黒部川第四発電所をはじめとする施設を、見学することができるようになりました。ただし片道30名までの定員制で、春から秋にかけてのおもに月、金曜日に行われます。申し込み方法は、関西電力または富山県のサイトでご覧ください。

 そしてこのルートを見学すれば、おのずと黒部ダムから黒部峡谷鉄道の欅平まで、またはその逆に進むことができます。まずは駅の集合場所で集まり、関西電力のかたの引率により右の写真の扉の中へと入っていきます。奥にはバスが待っており、白いヘルメットを着用して出発です。

P1010044 バスは、雪よけと環境対策のために黒部川の東側に掘られた、黒部トンネル(10.2km)を進みます。地図の写真でオレンジ色のラインのルートがこれにあたります。途中がれきを捨てるためにうがたれた、タル沢換気から景色を眺めることができました。
P1010038

タル沢換気から十字峡方向を見る
雨のため剱岳(2999m)の頂は
雲に隠れている
 

P1010051_1 再びバスに乗り、下りた作郎谷には、銀色に輝く乗り物がありました。インクラインです。傾斜鉄道という意味で、ケーブルカーとおなじものです。ケーブルカーが国土交通省の管轄なのに対し、インクラインは会社の施設なので、厚生労働省の管轄なのだそうです。中には約40名弱が座れる座席があり、おそらく見学者の定員はこの容積で決められているのでしょう。これで黒四発電所まで標高で456m落ちて下りていきます。途中のすれ違いでは、欅平方面からの見学者とすれちがいます。つまり見学時刻もこのインクラインの時刻で決められていると言えるでしょう。

P1010055 インクラインを下りたところが黒四発電所でした。ここではまず会議室に案内されました。楕円形のテーブルがあり、それに囲まれた中には黒部川流域のジオラマがあります。楕円のとがった片方にはスクリーンがあり、そこでこの発電所の説明を映像で見せてもらいました。映像の途中でジオラマが動き、黒部ルートの断面が解るようになっていました。

P1010057 次は発電施設の見学です。制御室をガラス越しに見た後、発電機室に案内されました。縦一列に4基の発電機が並べられ、その先端部分が出ています。まるでロボットアニメの秘密基地のようです。
 右の写真が下部に取りつけられている水車です。高さを利用して時速360kmになった水を6方向から吹きつけるため、水圧に耐えられるよう継ぎ目のない鋳物でできています。
P1010059 そして実際に回転している軸部分を見ることができました。ひと目見ただけで、これは触れたら危険だ、と解る速度で甲高い音をたてて廻っています。平年だと電力需要の少ないこの時期は廻っていないことが多いのだそうですが、今年は雪解け水のため水量が多いので、発電をしているとのことでした。

 再び会議室に戻り昼食です。給茶器でお茶をいただき、朝調達したおにぎりをほうばります。おみやげに絵はがきと黒部のミネラルウォーターをいただきました。

 発電所の見学を終えて、今度は上部専用鉄道で竪坑上部へと向かいます。定員10名ほどの車両に別れて乗り、それぞれの車両に関電のかたが乗り込み解説をしてくださいます。中島みゆきが平成14年(2002年)の紅白歌合戦で「地上の星」を歌った地点をまず通過します。ここからの中継が決定したとき、民放各局は電波を飛ばせるわけがないと信じなかったそうですが、関電の施設は通信ケーブルが張り巡らされていたため、扇沢駅前の中継車から電波を飛ばしました。皮肉なことに、録画でもないことが証明されたのは、中島みゆきが歌詞をまちがったからだそうです。
P1010079 しばらく進むと列車は外に出て、仙人谷にかかる鉄橋にさしかかります。ここで下車して、外の景色を楽しむことができました。いまのところ今年の見学会でここから見られた、最もよい景色だそうです。
 それにしても関電のかたがたのサービス精神の旺盛なこと。あらかじめ配付された「黒部ルート見学のしおり」には「黒部ルート見学会は、観光を目的としたものではなく…」と書かれていたので、堅苦しいものを想像していたのに、見学者の写真をとってあげまくっています。
P1010070
仙人谷ダム
こちらの水を欅平の黒部川第三発電所に送る
奥は剱岳 斜めの雪の谷は三の窓雪渓
 
P1010076
仙人谷の反対側
飛竜峡を流れるダムの水
やはり水量は多い
 
 再び列車に乗り込み、トンネルを進みます。やがて車両の窓ガラスがくもってきます。ここは吉村昭の「高熱隧道」の舞台になったところで、かつては165℃の温度があったそうです。今では黒三発電所への送水管を近くに通したため40℃程度に下がっています。この車両も耐熱性で2006年製造、はめ殺しの窓には手動のワイパーも付けられていました。その扉を開けてくださったので、手を外に出してみると、たしかに熱と湿度を感じました。
 この鉄道を造るために、過酷な労働条件の中、高給に引かれて人夫たちがやって来て、この熱や雪崩で犠牲になったのだそうです。
 さて列車は竪坑上部に至り下車、展望台から白馬岳や、奥鐘山を眺めることができました。
P1010083
展望台からの眺め
正面は白馬鑓ケ岳(2,903m)
 
 
P1010085正面の山が奥鐘山(1,543m)
特別名勝で特別天然記念物
斜面は幅1km高さ600m以上の
花崗岩の1枚板
 
 展望を楽しんだ後、200mのエレベータで竪坑下部へ。エレベータには軌道があり、欅平からの車両が乗り込み、上部鉄道に乗り入れることができます。天井が高いのが印象的でした。「最近どこのメーカーですかと聞かれることが多い」とのことでしたが、シンドラー製ではなくオーチス製でした。

 最後に黒部峡谷鉄道(下部鉄道)の車両に乗って欅平駅まで行きます。駅ホームの一番南側に列車は止まり、そこでヘルメットを返却して解散となりました。

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2006年6月13日 (火)

富山めぐり(1)立山黒部アルペンルート

 6月9日、10日の2日間、富山に行ってきました。その時のことを綴ります。
P1010002cut 8日晩、大阪を出た夜行バスは、雨天にもかかわらず9日5時、定刻に富山駅前に着きました。駅前のコンビニエンスストアで昼食を調達し、富山地方鉄道の駅舎へ向かいます。アルペンルートの室堂までの片道券(¥3,530)を購入し、宇奈月方面の初電をやりすごし、立山線方面の急行に乗りました。車両は地鉄オリジナルのものでした。
 列車は、田植えが終わり、黄金色の麦が輝く平野部を抜けていきます。上滝線と交わる岩峅寺(いわくらじ)を過ぎると、常願寺川に削られた河岸段丘を進みます。河原には大小の白い石が転がり、立山の火山地形を物語っています。

P1010007 立山からはケーブルカーで、美女平まで行きます。このケーブルカーには貨車が連結されていました。おそらく今は朝刊などを運搬するのでしょう。

 美女平からはバスで室堂へと進みます。実はアルペンルートは高校の修学旅行で来たことがあり、今回とは逆ルートで立山へと抜けたのですが、このバスの中では疲れで爆睡し、景色の記憶がありません。そこで今回は眠らないでおこうと、堅く決意したのでした。
P1010012 標高977mの美女平から、途中称名滝を左窓に見ながら進みます。徐々に植物相が変わっていくのを感じるとともに、雪がだんだん増えていきます。今年の雪はこちらでもよく降ったようで、やがて辺りが真っ白になり、雪の壁の間を通ると標高2,450mの室堂です。このバスで70分間に1,473mも登ったことになります。

 さて室堂で、本来ならば雷鳥でも探しに、ミクリガ池周辺を散策するのが普通ですが、外の気温は1℃でしかも横殴りの雨です。やむを得ないので、立山自然保護センターで映像や標本などを見て過ごしました。

P1010017 次は立山のどてっ腹を貫いて、大観峰へ行きます。以前アルペンルートを利用したときは、こちらにはディーゼルエンジンのバスが走っていましたが、平成8年(1996年)にトロリーバス化されました。これは無軌条電車とも呼ばれるとおり、実は鉄道にあたります。今回の目的のひとつは、このトロリーバスに乗ることでした。
 このルートのトンネルは、ほぼバス一台分の断面しか掘られていませんが、途中中間地点ですれ違えるようになっています。少し標高を下げ、2,316mの大観峰へ10分の乗車でやって来ました。

P1010020 ここからは大観峰の名のとおり、黒部湖が一望できる、はずでしたが、まだ天候が悪く、雲に隠されています。しかしだんだん雲が減っていき、黒部平に下りる頃には右の程度までに回復してきました。

 黒部平へのロープウェイに乗車します。さきほど黒部湖方面からの観光客は、大勢ゴンドラから下りてきましたが、こちらからの客は3名のみです。途中ロープを支える柱が一本もないのが特徴で、これはおそらく環境に配慮してということと、支柱を立てるのが無理な地形である、というのが理由でしょう。実際ロープウェイから大観峰を見ると、よくあんなところに駅が造れたな、と思います。

P1010022 最後に黒部平からケーブルカーで黒部湖まで行きます。この路線は雪を避けるため、全線地中にあるのが特徴です。こうして1,455mの黒部湖までやってきました。室堂からここまでは、6.2kmで運賃は¥4,200。この運賃は、高いと思いますか?それとも安いと思いますか?

P1010035 黒部湖の駅を出てみると、雨が止み、見通しが少し利くようになっていました。そこでゆっくりと黒部第四ダムの堤防を歩きながら、景色を楽しみました。ダムは雪のため、増水中のようです。反対の扇沢側からは、多くの団体観光客が、添乗員に引率されてやってきます。「もう時間がないよ」などという声が聞こえてきます。P1010028
 残念ながらこちらもそれほど時間に余裕がないので、遊覧船に乗ったり展望台に上がったりすることなく、黒部ダム駅へと向かいました。
 
 
P1010032_1P1010030_1            左:ダムの下流域
            右:ダムの堤防

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2006年5月 8日 (月)

神戸空港

 昨日は、神戸空港に行ってきました。

060507_portliner_1 空港へ行くには、三宮からポートライナーに乗らなければなりません。駅付近のチケットショップで回数券を手に入れ、乗り込みました。
 高架でビルの間を抜けた直後に感じたのが速さでした。体感速度が新交通システムのレベルを超えています。スピードアップしたとは聞いていましたが、これほどとは。神戸大橋の下り坂や、空港連絡橋への右カーブでは特にそれを感じました。
 途中、ポートアイランドの回転を止めた観覧車が左窓をかすめていきました。

060507_tarminal さて、空港の2階出発ロビーに来てみると、予想以上に狭く感じます。地方空港の中でも狭いほうでしょう。物販は、菓子など食品中心のコーナーがおもに3ヶ所と、雑貨を少々扱っていました。中でも神戸スイーツのコーナーは、おいしそうな菓子であふれていました。実際試食させてもらったチーズケーキはおいしかったです。宝飾のお店もありましたが、はたして買う人がいるのでしょうか?