サッカーの話題

2007年2月12日 (月)

ぴたポン!とロビー

 サッカー新聞「エル ゴラッソ」関西版2月5日号を読んでいたら、次の記事が目に留まりました。

J2のC大阪が3日、大阪メトロサービス「OSAKA PiTaPa」とのスポンサー契約を明らかにした。

 セレッソのホームゲームではときどきスポンサーの日があり、フィールド上にハムリンズ(日本ハム)やヤン坊マー坊(ヤンマー)が登場するのですが、これでついにぴたポン!が登場し、ロビーと共演するのですね。タヌキとオオカミは同じイヌ科どうし、きっと気もあうことでしょう。

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2006年7月15日 (土)

日本代表監督の選びかた

 次期日本代表監督に、イビチャ・オシムが就任しようとしています。

 オシムについては、ユーゴスラビア代表、シュトルム・グラーツ(オーストリア)での、そしてなによりジェフ千葉での実績が物語るように、彼の代わりを探すのが難しいくらい適任でしょう。おそらく彼の代表監督就任に反対なのは、熱心な千葉サポーターくらいではないでしょうか。
 ただ彼の就任にあたり、のどの奥にささった小骨のような引っ掛かりを感じているのは、小生だけでしょうか。

 オシムを日本に連れてきたのは、祖母井(うばがい)秀隆ジェフ千葉統括部長兼育成普及部長です。彼はケルン体育大学でコーチングを学び、その時やその後に育てたコネクションを利用し、当時の奥寺康彦監督のアシスタントコーチとしてヤン・フェルシュライン(次の監督)を招き、その後もゲルト・エンゲルス(現浦和コーチ)、ニコラエ・ザムフィール、ズデンコ・ベルデニック(元スロベニア代表監督)、ヨゼフ・ベングローシュ(元チェコスロバキア代表監督)と、中欧出身の人物を中心に監督に招いています。その間チームは、残留争いの常連だった状態から脱し、'01年からは、年間で7位以上を維持しています(以上は「サッカー批評」20号の西部謙司の記事を参考にしています)。

 対する日本代表監督は、この15年間国籍だけで見ても、日本ーオランダーブラジルー日本ー日本ーフランスーブラジル、と一貫性がありません。外国人ではコミュニケーションがとれない、と首を切られた監督もいましたし、システムに縛られすぎだ、と批判された監督もいましたが、最終的には、あたかも振り子のように元に戻っているように思えます。

 日本サッカー協会(JFA)は、ジーコ前代表監督の指導方針を肯定しているようで、JFA会長がオシム監督の就任をほのめかしたとき「選手の判断を尊重する指導方法はジーコ監督の考えを受け継いでいく上でふさわしい」と語ったようですが、後任がオシムで、ジーコ路線を継承したことになるのでしょうか?もしJFAがジーコの実績を継承させたいのなら、クロアチア人ではなくブラジル人監督、たとえば現ポルトガル代表のルイス・フェリペ・スコラーリ、現鹿島監督で次期ブラジル監督候補のパウロ・アウトゥオリ、現大分監督のペリクレス・シャムスカあたりを就任させるのが筋だと思うのですが。

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2006年6月 8日 (木)

競技場に持ち込み禁止

毎日新聞 - 6月6日20時55分更新分より抜粋  サッカー・ワールドカップ(W杯)で、ドイツ組織委員会は大会期間中、治安対策を理由にスタジアム入場者に厳しい持ち込み規制を行う。応援グッズの横断幕や太鼓などのほか、傘やペットボトル、ビデオカメラまで禁じられる。サポーターらには不評で、周知されていないことから、試合当日の入場ゲートでの混乱も懸念される。

 実は去年の6月は、ドイツに行っていました。目的のひとつはコンフェデレーションズカップ2ゲームの観戦でした。その時買ったTシャツの一部分は、実は以前にこちらでアップずみです。
 6月15日はケルンでアルゼンチン対チュニジア、16日はハノーバーで日本対メキシコを観戦しました。ケルンでは荷物検査はあったものの、小生の荷物は問題なく持ち込めました。
 ところがハノーバーでは荷物検査の際に、小型一眼レフカメラがひっかかりました。小生は、ケルンで持ち込めたのになぜ?と聞いたのですが、返答は帰ってきません。特に追及もされなかったので、荷物を預けろと言われたプレハブの建物に向かうふりをし、そのまま競技場内に持ち込んだのでした。

 結局カメラだけではなく、旗や太鼓もだめのようですね。応援に行かれるかたはご愁傷様です。ところでカメラですが、使い切りフィルムや携帯電話のカメラはどうなのでしょう?基準を決めるだけでも大変そうです。

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2006年5月19日 (金)

日本代表の背番号

 巻誠一郎(サッカー・ジェフ千葉)がワールドカップの日本代表に選ばれましたが、それをユニフォーム販売店が予想できなかったため、MAKIの名前が入った商品が用意できないそうです。背番号のプリントメーカーも、ワールドカップの日本の初戦に間に合わない見込みだと、さきおとといNHKで放送されていました。
 このニュースを見て思ったのが、日本代表選手の背番号ってこのまま変わらないんだっけ?という疑問でした。

 その疑問はすぐ解決しました。ご存知のとおり、おととい代表の背番号が発表されました。小生がニュースを見たかぎりでは、前回のワールドカップからどう番号が変わったのか、という報道はされていましたが、監督がジーコに代わってからどう変わったのか、については見かけませんでした。そこで国際大会、つまり'02年と'06年のワールドカップ、'03年と'05年のコンフェデレーションズカップ、'04年のアジアカップの代表について調べてみました。

 国際大会に限れば、中田英寿(ボルトンワンダラーズ)の7と三都主アレサンドロ(浦和レッドダイヤモンズ)の14は、一度も番号を変わっていません。小笠原満男(鹿島アントラーズ)の8と中村俊輔(セルティック)の10も、ジーコ就任後は変更がありません。ジーコの信頼がうかがえます。

 GK3名はジーコ就任当初は、'02年ワールドカップで12だった楢崎正剛(名古屋グランパスエイト)が正GKだったため1、国内組のサブとして土肥洋一(FC東京)が12を着け、当時ポーツマスにいた川口能活(ジュビロ磐田)が後に23をまとい、それがそのまま引き継がれました。その結果ワールドカップでは2大会続けて、正GKが1番を着けないという結果になりそうです。

 反面、稲本潤一(ウェストブロムウィッチアルビオン)、坪井慶介(浦和レッドダイヤモンズ)のサポーターは大変だったのではないでしょうか。この4年間国際大会だけで、稲本は5、18、17、坪井は21、20,19の3つの背番号を背負っています。どちらも今回の発表で番号がまた変わり、特に稲本は今年2月のヨーロッパでの試合では29番まで着けていたのですから。

 結局今回の番号変更は最小限に済ませたようです。子供むけアニメのアイテムのように、思いきって変えたほうが、アディダスももうかるだろうと、小生などは考えたのですが、なかなかサポーター思いですね。

 ところで小生は代表ユニフォームを持っていません。今回のユニフォームは今までの中でも好きなほうですし、数字のデザインが、ナイキの○で囲まれた番号よりもよいと思うので、もしかしたら買うかもしれません。そのとき背番号と選手名は、以前haruさんのサイトにコメントを書きこんだのことがあるのですが、こうしたいと思っています。背番号は9。しかしFWの不甲斐なさに喝をいれる意味で、名前はTAKAHARAではなく、タイガーショットのHYUGAでいきたいと…。

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2006年5月15日 (月)

FIFAワールドカップ日本代表決定

 今日は休みだったので、発表を生で見ることができました。
 最後に「マキ」と名が呼ばれて、会場から「おーっ」と声が上がったとき、記憶力の悪い小生は「あれ、だれが落ちたんだっけ?」と考え込んでしまいました。コンディションの面で久保竜彦(横浜Fマリノス)よりも巻誠一郎(ジェフ千葉)ということでしょう。
 FWに関しては実績ではなく、旬の選手を選んだことで、ジーコ監督をちょっと見直しました。

 でもFW5人は多い気がします。それだけFWの信頼性がないのでしょうか。FWを1枚けずって松井大輔(ルマン)を採用してもよかったのでは、と思うのですが。

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2006年2月28日 (火)

ぴあトークバトル VOL.49

 いままで当ブログには撮影した写真が1枚もありませんでした。それは小生がまともなデジカメを持っていないからです。
 先日3年ぶりに携帯電話を替えました。これで多少はまともな写真が載せられるかと思ったのですが、撮影場所が暗いとそうもいかないようです。で、その写真をいまから公開します。

 昨日は、なんばHatchでの「ぴあトークバトル VOL.49」を見てきました。トークショー形式で各種スポーツを紹介するイベントです。今回はタイトルが「関西4クラブ 2006年Jリーグタイトル独占宣言!」で、登場したのは以下のかたがたです。
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写真の左手から
M C:熊谷 心
ホスト:水内 猛
ゲスト:武田修宏

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   :美尾 敦(京都パープルサンガ)
   :實好礼忠(ガンバ大阪)
   :下村東美(セレッソ大阪)
   :朴 康造(ヴィッセル神戸)

 ここでホストとゲストの印象を少々。
水内 猛:ここまで冗舌だとは思いませんでした。
武田修宏:風邪をひいていたせいか、口数が少なめでした。
美尾 敦:若くして引退したとしても、水内の後を継げるほど冗舌です。
實好礼忠:現役では一番年上なのに、水内と同い年なのでいじられ役でした。
下村東美:思考が後ろむきで、あこがれはキャプテン翼の岬太郎だそうです。
朴 康造:ひとりだけJ2落ちのチームだけに、立場がかわいそうでした。

 はじめに11の質問に◦×で答えてもらい、あとでそのことについて水内がつっこみを入れる形式で進められました。一番盛りあがった質問は、自分が監督と相性がいいか?というもので、××監督はミーティングで外国人選手の名前をよく間違う、など暴露話に発展していきました。選手のみなさんの素顔に触れられて大変有意義でした。
 
 まもなくJリーグも開幕です。選手のみなさんお体を大切に。接戦を期待しております。

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2006年2月 8日 (水)

富樫洋一氏 急死

 フットボールジャーナリストの「ジャンルカ・トト・富樫」こと、富樫洋一さんが亡くなられました。
 まず日刊スポーツのサイトから記事をお借りします。

 テレビのサッカー解説などで活躍していた富樫洋一さんが、7日早朝、取材先のエジプトで病死した。54歳。富樫さんは、エジプトで行われているアフリカ選手権を取材中だった。
 同行している世維子(せいこ)夫人から留守宅に入った連絡によると、風邪で体調を崩していたためか、就寝中にたんを詰まらせて呼吸が停止。医師が駆けつけた時には手遅れだったという。
 90年代のイタリア代表のジャンルカ・ビアリ、スキラッチの愛称トトから、ジャンルカ・トト富樫を名乗り、セリエAを中心に海外サッカーに精通していた。アフリカにも魅せられ、10年以上前からアフリカ選手権などを継続的に取材していた。               [2006/2/8/08:49 紙面から]

 Jリーグ発足当初、テレビ東京系列「スポーツTODAY」で解説をされていたのが富樫さんでした。その後「サッカー批評」の記事やJSPORTSの解説に接し、最近ではJ SPORTSで、UEFAチャンピオンズリーグ16強の予想番組でお姿を拝見していただけに、夭折きわめて残念です。ご冥福をお祈りいたします。

追記:富樫さんのことを書いた杉山茂樹のコラムがNumberWebに掲載されています。

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