旅行・地域

2007年12月18日 (火)

エプソン品川アクアスタジアム

 靖国詣での後、半蔵門線で新宿に立ち寄り、山手線で品川へ出ます。駅の北側の白い建物をぬけ、青色LEDのアーチをくぐり、左側の建物のエスカレータを上がると、エプソンアクアスタジアムの入口がありました。
 まもなくイルカのショーが始まるので、まずイルカプールへ向かいます。

Aquastairukapool_2  一般のイルカのショーブールは、ステージの前にブールがあり、そのさらに前に客席がある映画館のような形態が多いのですが、ここのはブールが円形で、その周りに飼育員の立つ場所があり、Aquastakamairukaそのさらに周りに客席があるスタジアム型をしています。はたしてどんなショーが見られるのでしょう。
 結論から言うと、いまいち迫力がありませんでした。原因はおそらく、プールが円形で奥行きがあるのでイルカが遠く感じるからでしょう。月曜日の夕方で空いていたので、もっと観客がいれば違ったかもしれません。
 そのプールでショーをしたのはオキゴンドウイルカ、バンドウイルカ、カマイルカでしたが、小さなカマイルカの他種を超えたジャンプ力には、目を見張るものがありました。

Aquastamanta  イルカのショーと訓練の後、アシカのショーまでには少し時間があるので、ほかの水槽を見て回りました。海中トンネル水槽にはサメやエイが集められていましたが、オニイトマキエイ(マンタ)がAquastasleeping_sunfish狭い水槽を回遊しているのを見て、ちょっとかわいそうになりました。 他には、眠っていて上下逆さに浮いているマンボウが目に留まりました。水槽の前には香りを発散させるしかけがついていました。

Aquastaashika_show  アシカプールでは、男女の飼育員がそれぞれ1頭づつのアシカと、コミカルなパフォーマンスをくりひろげました。イルカのショーもそうですが、ほかの水族館とちがってお勉強の要素を少なくして、ショーに徹しているのが特徴のようです。

 ショーが終わったので、ほかの水槽をゆっくりひととおり眺めてから空港に行こうと思っていると、さきほどショーに出ていたアシカの1頭が、飼育員に連れられてやってきて、Aquastakyujiパフォーマンスもみせてくれました。そして人が集まったところで、海中トンネルのサメやエイに給餌が行われました。
 次々と繰り出される客を飽きさせない工夫に好感を持ちながら、辞去することにしました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年12月14日 (金)

靖国神社

 美術館をはしごした翌日、まず出かけたのが靖国神社でした。

Yasukuni_omuramasujiro_3  時折マスコミを賑わせるこの神社に参拝しようと思った理由は、戦没者をご祭神としてお祀りするこの神社に祖父が祀られているからです。ほかにもうひとつ理由があるのですが、それはまた後で触れます。
 靖国神社は明治2年の創建です。Yasukuni_haiden_2おりしも神仏分離、排仏毀釈の嵐のさ中に建てられたので、仏教思想とは無縁のはずですが、東西に細長い境内でひとびとは西、つまり西方極楽浄土に向かってお参りするかのように配されていました。小生は大村益次郎の銅像の脇を通り、拝殿へと向かいました。平成元年に更新された屋根が輝いていました。

Yasukuni_yushukan_2  拝殿の左側にある摂社にお参りした後、右側にある遊就館に入りました。ずいぶん新しい建物で、中には「零式艦上戦闘機」と「C56型機関車」が展示されていました。チケットを買ってエスカレータを上がります。
 展示内容は、幕末から終戦までの日本を中心とした戦争の歴史で、特別攻撃のための魚雷「回天」や航空機「桜花」なども展示されていました。歴史の記述のしかたは賛否両論あるかと思いますが、訪問する価値のある施設だと思いました。外国人の来館者も見受けられ、戦勝国の彼らからはどう写るのだろうと気になりました。

 遊就館を出て、参道を引き返します。境内の入口、東京理科大と向かいあうところに第一鳥居があります。靖国を訪れたもうひとつの目的はこの鳥居でした。

Yasukuni_daiiichitori_2  以前鳥居について書いたことがあります。そのとき高さの順位づけをしたのですが、ネットサーフィンをしているうちに、新たに高い鳥居が見つかってしまいました。そのひとつがこの第一鳥居だったのです。公称25m、遊就館の中の売店で販売されていた書物にもそう書いてあったので、25mで間違いなさそうです。実際目の当たりにすると、柱は太くないものの、それなりの高さはありそうです。
 ほかにもうひとつ、兵庫県高砂市の鹿嶋神社にチタン製の鳥居があり、神社と製造メーカーのサイトのどちらにも高さは26mと記述されています。
 よって、以前掲示したランキングをここで再度訂正させていただきます。

鳥居の高さランキング(改訂3版)

1.熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ・和歌山県田辺市)
  33.9m 平成12年(2000年)
2.大神神社(おおみわじんじゃ・奈良県桜井市)
  32.2m 昭和61年(1986年)
3.弥彦神社(やひこじんじゃ・新潟県弥彦村)
  30.2m 昭和57年(1982年)
4.最上稲荷(さいじょういなり・岡山県岡山市)
  27.5m 昭和47年(1972年)
5.鹿嶋神社(かしまじんじゃ・兵庫県高砂市)
  26.0m 平成10年(1998年)
6.靖国神社(やすくにじんじゃ・東京都千代田区)
  25.0m 昭和49年(1974年)
6.神柱宮 (かんばしらぐう・宮崎県都城市)
  25.0m 昭和54年(1979年) 
8.古峯神社(ふるみねじんじゃ・栃木県鹿沼市)
  24.6m 昭和49年(1974年)
9.平安神宮(へいあんじんぐう・京都府京都市)
  24.2m 昭和4年(1929年)
9.豊国神社(とよくにじんじゃ・愛知県名古屋市)
  24.2m 昭和4年(1929年)

 このデータに誤りを見つけられたときは、コメントにてお知らせください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年5月10日 (木)

マリンピア日本海

 すでにひと月以上前のことで恐縮ですが…
 ビッグスワンで白鳥のアルビくんvs.イルカのふろん太のゲームを観戦した日の前夜、その日の午前中をいかに過ごすか迷っていました。行き先に水族館を入れたいので案は2つ。第1案は弥彦神社と寺泊水族博物館へ。第2案は朝ゆっくりしてマリンピア日本海へ。結局時間に急かされることを敬遠し、マリンピアに行ってきました。

A_tunnel_tank Marinepia_nihonkai 新潟市水族館マリンピア日本海は、新潟市制100周年を記念し、平成2年(1990年)に移設オープンされたそうです。なるほど、メインの「日本海大水槽」には、当時流行ったトンネルが設けられています。
The_tank_of_shinanogawa_river  屋内での展示ではほかに、地域密着の「信濃川水槽」が興味をひきました。信濃川の下流から遡るように生き物が展示され、最も上流ではヤマメが泳いでいます。どうせなら「信濃川」のくくりにこだわらず、上流の千曲川の生物も展示できたらよかったのに、というのが偽らざる感想です。

Jumping_through_a_ringJumping_dolphins_1Lying_dolphins 
 
 
 
 
 屋外ではまずショープールで、4頭の、バンドウイルカとカマイルカのショーを見ることができました。ここでのプログラムは、観客におなかを見せて体の特徴を解説するなど、演技よりもイルカについて学んでもらうという姿勢が感じられて、好感が持てました。 

The_humboldt_penguins_pool_2 The_humboldt_penguins_pool1  「ペンギン島」ではフンボルトペンギンが愛嬌をふり撒いていました。これだけたくさんいると、にぎやかで楽しげに見えます。中にイワトビペンギンが数羽混じっていましたが、海遊館の冷房の効いた「南極大陸」水槽にいるイメージがあるので、温帯にも棲むフンボルトと同様、暑さに耐えうる体の持ち主だったとは知りませんでした。

Spotted_seals_1  そしてなんといってもこの日のメインディッシュは、ゴマフアザラシでした。前日にあかちゃんが生まれ、この日が公開の初日だったのです。飼育員さんが必ずそばに立ち、ノートを片手に観察をしていました。
 赤ん坊は親と違って、クリーム色に近い長めのSpotted_seals_2_1毛を身にまとっていました。おとなしく、ときどきおかあさんのおっぱいを探していました。人間のあかちゃんがほかの生物とくらべ未熟児状態で生まれるように、あざらしもそうなのかな、外敵がいたらたいへんだ、などと思っていたのですが、この文を書くときにネットで確認すると、巨大化していることにびっくり。どうやら人間の子よりは生きのびられそうです。成長は早いようですが、小生が見たときの大きさであれば、怪力がなくてもアシベのように脇に抱えることができそうです。

Tonkatsu_taro  充分堪能したので水族館を出て、街中まで歩いていくことにしました。古町の「とんかつ太郎」でカツ丼の昼食。たまごをかけないカツ丼は、ころもにあらかじめ味がつけられていて、たいへんおいしゅうございました。 

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007年4月30日 (月)

沖縄めぐり(6) 識名園

Shikinaenjpg  沖縄での最終日、きょうは初日に行きそこねた識名園にむかいます。都心から識名園に行くには、2番か3番のバスに乗ればよかったのですが、モノレール開業前の古いガイドブックを見ていたため、1番のバスに乗ってしまいました。バスは3日前に歩いた首里公園の近くを通り、モノレール首里駅を経由し、終点の新川営業所にむかいます。そこで終点の手前の県立医療センター前で降り、西へおよそ15分、丘を上ったところに識名園がありました。

 識名園は琉球王家の別邸として、また冊封使を接待する場として、第2尚氏王朝第14代尚穆(しょうぼく)の代に着工され、第15代尚温の代の1799年に完工したといわれています。その庭園は園内を歩いたり船を浮かべたりして楽しむ池泉回遊式で、赤瓦屋根の御殿(うどぅん)から眺めて楽しむ池泉鑑賞式も兼ねています。
 昭和16年(1941年)に国の名勝に指定されましたが沖縄戦で破壊され、昭和50年から調査や古い写真等の資料に基づいた復元に手がつけられ、平成7年(1995年)から一般公開、平成11年(1999年)に国の特別名勝に、平成12年(2000年)に世界遺産に指定されました。

The_udun_1  入場券を買い中を進むと、木々に囲まれた小径がゆるやかに左に曲がり、正面から右側に池が広がります。「心」という字の形をしているそうですが、高いところから見ないかぎり、そうなっているかはわからないものです。Googleの衛星写真で確かめてみたのですが、うーん…。左には組石に囲まれた育徳泉があり、透きとおった水の中にサンショウウオが棲んでいました。さらに先に行くと赤い瓦屋根の御殿が落ちついたたたずまいを見せていました。
From_the_udun 御殿には上がることができます。建物の中から手前の芝生のむこうに、正面から右手にかけては池を横切る道筋にかかる2つの石橋を、左手には屋根を二重に頂いた六角堂を、見ることができました。芝生が使われていることから、岡山後楽園を始めとする大名の庭園を連想させますが、中央部が高い太鼓橋状に造られた石橋や六角形の建物は、中国風に感じられます。建物の中には戦前の識名園の写真が、パネルで展示されていました。

 御殿を出て、こんどは橋を渡ります。2つの石橋と左手の六角堂に架かる石橋は、琉球石灰岩で形状は似ているものの、構造が異なっていました。はじめに架かる橋はごつごつした自然石の風合いを生かし、ふたつめは切り石を積んだ造りで、六角堂手前のは大きなひとつの石を加工したものでした。 
 Bridge_3rd_2 Bridge_2ndBridge_1st

 


 
 
 池のほとりの船着場を見たあと池から離れ、小高い丘へとあがります。観耕台と呼ばれる展望台からは、海をみることができません。おそらくかつては名前のとおり、A_snail_1耕された畑が広がっていたことでしょう。この光景を冊封使に見せ、琉球国がいかに広大であるかを知らしめたとのことです。
 バナナ園などを見て再び育徳泉のところに戻り、別ルートで出口へと戻ります。出入り口近くの番屋に、右のような生物を見つけました。さすが亜熱帯、本土よりも大きいですねぇ。

At_the_makishi_park  識名園からはバスで牧志へ、近くの公園でも桜が花をつけていました。国際通りを縦断しパレットくもじの那覇歴史博物館へ。戦前から現代にかけての写真パネルが印象に残りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月27日 (金)

沖縄めぐり(5) 練習試合 中日ドラゴンズvs.三星ライオンズ

 沖縄での3日目、気力と体力があれば山原の自然に触れたいところですが、未だに疲れがとれません。きょうの行き先は那覇から遠くないところにします。
 ちょうどこのときはプロスポーツのキャンプシーズン。なぜかサッカーの球団は沖縄を避け宮崎に集まり、野球でもわが広島東洋カープは数日前に日南に移動しています。そこでいくつかのキャンプ地の中から、北谷(ちゃたん)の中日キャンプを見に行ってきました。

Starbucs_chatan  那覇バスターミナルを発ったバスは、国際通りを通り、国道58号線を北上しおよそ30分、軍病院前のバス停で降ります。東側は米軍のキャンプ桑江のグラウンドで、こどもたちがサッカーの練習をしていました。まずは美浜の交差点にあるスターバックスでラテを購入、来店中の客の8割がアメリカ人で、ここが基地の街であることが実感できます。
Asakurayoshimi  そのラテを抱えて西側の北谷公園へ、公園の最も西には風力発電の風車が1基据えられ、その手前に陸上競技場と球場がありました。さらにその手前にサブの球場があり、浅倉健太、吉見一起、中田賢一といった主力投手が守備練習を行っていました。最近は小生の贔屓チームが弱いので、Tanishige年々プロ野球への興味を失っている小生です。選手が顔ではなかなか判断できず、球場前に置いてあった選手一覧と背番号が頼りです。それゆえ捕手のポジションに谷繁元信の姿を見たときにはほっとしてしまいました。

Practice_of_the_pichers  球場の掲示によると、今日は午後から恩納でキャンプをはっている韓国チャンピオン、三星ライオンズとの練習試合があるとのこと。守備練習も終わったので、球場北側のジャスコでうどんを食べ、アメリカンビレッジを駆け足で廻ります。ミリタリーグッズなど、なかなか大阪では見られない商品がたくさん陳列されていました。そろそろ試合開始時間が近づいたので、球場に戻ります。

Chatan_park_baseball_stadiumjpg 三星ライオンズは、かつて中日に在籍していた宣銅烈(ソン・ドンヨル)が監督をしている関係で、恩納(おんな)でキャンプをはり、こうして中日と練習試合をします。1回裏が始まる前に、3塁コーチャーズボックスにむかう音重鎮コーチが、3塁ベンチに挨拶する光景も見られました。
Lions_vs_dragons  三星は背番号から察するに主力級が先発、対する中日は一軍に手が届くか届かないかくらいの選手が出ているようです。内野スタンドの観客は老若男女とりまぜて1,000人近く入っているようですが、恐らくめあてはかつての中日の投手、堂上照の息子、堂上直倫でしょう。このゲームでも2塁打を含む2安打の活躍でした。
 ゲーム自体は、3回以降三星のリリーフ陣が中日打線を零封し、ほとんど主力のいない中日投手陣は4点を取られ、結果2−4で三星の勝利に終わりました。ただ両チームの投手陣でひとり格の違いを見せつけたのが9回のマウンドに立った中里篤史で、おそらく150km/h近い球で三星打線を手玉にとっていました。

Araha_beach_1  ゲームが終了後、球場では打撃練習が行われました。ただスタンドに腰かけているだけでしたが、仕事の疲れをひきずっている身にはこたえました。球場を後にし、川を隔てた南側のアラハビーチを歩いた後、那覇の国際通りでみやげを買い、おとなしくホテルへ帰りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月20日 (金)

沖縄めぐり(4) 今帰仁城跡

 3時すぎに美ら海水族館を出て次にめざすは、東に直線距離にして3kmのところにある世界遺産、今帰仁城跡(なきじんぐすくあと)です。しかしバスがない時間だったので、タクシーを使うことにします。車は海岸近くを走った後、山道を登り、赤い瓦屋根の2つの建物の間に止まりました。

The_castle_and_cherry_blossoms The_entrance_of_the_nakijin_castle_1  まず東側の建物、交流センターでチケットを買い、西側の今帰仁村歴史文化センターを見学。琉球国時代の今帰仁村に関するものが展示されていました。

 続いて今帰仁城跡です。首里城と同様奥行きのある造りになっていました。石造りの門をくぐると、奥に続く小道の両側の桜が、濃いピンクの花をつけ、花から花へとアゲハチョウが舞っていました。さらに先の石垣のむこうには、低い石垣で囲まれた広く平らな場所、本土風に言えば一の丸、二の丸などにあたる場所がありました。
Stone_walls_valley The_stone_wall 石垣は自然石を積んだ野面(のづら)積みで、高さは場所によりまちまちで、入口に近いあたりは、がけの部分を除けばそれほど圧迫感はありませんでした。しかし奥に進むと城の東側が深い谷で、一段低くなったところに広くなった空間があり、その段差に10mくらいの高さの石垣が巡らされていました。そして場内のところどころから、海を望むことができました。かつて中山の尚巴思が、北山の根拠地であったこの城を攻めたとき、文字どおり三日三晩攻略できず、内通者を利用してようやく落としたそうで、城跡からもその難攻不落の要害であったことがよくわかります。
The_stone_wall_the_sea_west The_stone_wall_the_sea_east  城跡の奥のほうでは石垣を積む工事をしています。近い将来この城の全貌をまのあたりにすることができるでしょう。

 帰りはバス停まで県道を歩きます。この道は、往きはタクシーで来てよかった、と思わせるような急坂で、今帰仁城を攻めるのがいかに大変かを察することができます。道沿いの桜がこちらでも咲き、小生を楽しませてくれました。今帰仁城址入口バス停にはバスを待つ人がひとり、のぼりを掲げて待ちうけていました。

Nakijinjoshi_iriguchi_2 The_prefectural_road_115_1  翌日那覇市内で「レンタカー1日3,900円」の看板を見つけました。那覇と美ら海水族館の往復交通費よりも安い料金でした。小生は「しばらく車を運転してないし、疲れと睡眠不足があったからバスでよかったんだ」と、ひたすら自分に言い聞かせざるをえませんでした。

沖縄めぐり(5)練習試合 中日ドラゴンズvs.三星ライオンズ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月16日 (月)

沖縄めぐり(3) 美ら海水族館

 2日目朝、那覇バスターミナルからの高速バスは、およそ1時間半で名護バスターミナルへと到着しました。仕事の疲れを引きずっていたので早起きができず、時刻はすでにお昼時です。近くのコンビニエンスストアで肉まんを購入し、再びバスに乗り込みます。
 バスは名護市街を抜け、本部半島の西海岸を進みます。海のむこうに瀬底島の影を見ながら進み小一時間、左手の海側に国営沖縄記念公園の緑地が見えてきます。
Ocean_expo_park_2  海洋博記念公園で下車、公園へ下りる階段からは、中央に小高い山を頂いた伊江島が臨めます。公園内は首里公園同様、美ら海花まつりの期間中で、春の日差しの中、花で彩られた生き物たちで飾られていました。階段を下り右側に進むと、「沖縄美ら海水族館」の入口がありました。チケットはあらかじめ名護のコンビニで、割引価格で購入済みです。

The_tank_of_the_coral_sea  「ちゅらうみ」といえば巨大水槽というイメージが強いのですが、入って最初にある「サンゴの海」水槽はみごとでした。上から日の光が差し込むよう工夫された水槽に、色や形が様々なサンゴと熱帯魚が息づいています。他の水族館のサンゴは作り物が多いだけに貴重で、産卵まで見られる環境を整える技術と努力には頭が下がります。

The_tank_of_the_kuroshio_sea  そしてなんといっても「黒潮の海」の世界最大の屋内水槽です。以前ディスカバリーチャンネルで放映していた、美ら海水族館の制作過程のドキュメンタリーによると、この水槽はジンベエザメの繁殖に挑むために造られたそうです。繁殖させるためには2匹では失敗の確率が高いため3匹が泳ぎ回れるように、また本来ジンベエザメは尾を真下にむけて餌を食べるためそれが見られるように、37×27×10(m) 7,500tという大きさになり、結果、日プラ(株)による22.2×8.2×0.6(m)という世界最大のアクリルパネルが採用されたそうです。
Whale_sharks_manta_rays  今回沖縄に来た最大の目的がこの水槽を見るためだったので、期待に胸ふくらませていたのですが、やっぱりすごい。一度にジンベエザメ2匹は、かつての海遊館で見たことがありますが、3匹が同時に泳ぐとかなりの迫力があります。さらにオニイトマキエイ(マンタ)が数匹、優雅にひらひらと水中を飛んでいて、つい見とれてしまいます。じっくり腰を落ち着けて見たかったのですが、イルカのショーの時間が迫っています。再入館することにして先に進みます。
 ほんとは時間をかけて見たかった深海魚のいるコーナーを足早に見て、屋外へ出ることにしました。

Fuji_at_dolphin_lagoon  屋外には公開中の施設がいくつかありますが、最初にむかうのはイルカラグーンプールです。イルカ観察会があり、イルカがどんな生き物なのかを学ぶことができるのですが、ここではバンドウイルカのオキに会うことができました。オキは4年半前に病気で尾の4分の3をなくし、その後(株)ブリヂストンの協力で人工の尾ひれをつけて泳ぐ訓練をしています。
 続いてウミガメ館とマナティ館。ウミガメ館は産卵もできるように砂浜が設けられていて、子ガメたちの水槽もありました。
Churaumi_dolphin_jump  さてそろそろショーが始まるのでオキちゃん劇場へ。ほかではあまり見られない(気がする)オキゴンドウイルカが、宙に舞ったり、おなかにスタッフを載せて泳いだり、なかなか楽しめました。ここのイルカたちのことは、こちらのサイトに詳しく掲載されています。
 最後にかけあしで「黒潮の海」を見に再入館し、魚たちを目に焼きつけて立ち去ることにしました。この水槽の写真は、こちらのサイトにきれいなものが掲載されています。この写真を見て、小生は自分の写真の掲載をやめたくなりました(笑)。

 沖縄美ら海水族館の印象ですが、「サンゴの海」「黒潮の海」水槽は一見の価値があります。特にあの大水槽は何度訪れても飽きることはなさそうです。ただ大水槽の印象が強すぎるためか、これだけ?、という印象が残ったのも事実です。「オキちゃん劇場」の施設も旧水族館から引き継いだものだけに、その小ささが逆に気になります。もっともイルカのショー自体は無料で見られるので、これでもよいのかもしれませんが。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年3月29日 (木)

沖縄めぐり(2) 玉陵

 14〜15世紀の沖縄は、今帰仁城の北山、首里城の中山、南山城(糸満市)の南山にわかれていました。佐敷(南城市)の按司(あぢ=主:地方城主)であった巴思は、1406年に中山王の座を奪い、父の思紹を中山王とし、1416年に北山を滅ぼしました。父の死後2代目を継ぐと、1429年に南山を滅ぼし、統一国家「琉球国」が成立。翌年明朝より「尚」の姓を賜りました。これが第一尚氏王統で、この時期に龍潭が造られ、国場川と安里川の三角州であった那覇が、外港として整備されました。
 尚巴志の七男、尚泰久が6代目を継ぐと、財政、外交担当職である御物城御鎖側(おものぐしおざしのそば)に抜擢されたのは、伊是名島の百姓の出の金丸でした。しかし尚泰久の死後、7代目を継いだ子の尚徳とは意見が合わず、その職を去りました。
 暴君と伝えられる尚徳の死後、その世子を差し置いて、按司会議で王に推された金丸は1469年、尚徳の子として王の座に就き、尚円を名乗りました。これが第二尚氏王統で、明治12年(1879年)の琉球処分による沖縄県設置まで19代、410年間続きました。
 玉陵(たまうどぅん)は、その第二王統の陵墓で、1502年に第3代の尚真が父の円を弔うため造られ、第2代尚宣威と第7代尚寧を除く歴代の王と、その親族が葬られています。

Tamaudun  玉陵は首里城公園の西側にあり、入口はその西、首里高校の向かいにあります。通りから奥まったところに入口があり、右側の建物で入場券を買い、まず地下の資料室を見学します。玉陵の歴史と伝説、そして多くの厨子甕(骨壷)が展示されていました。現在の陵墓は大戦後、昭和52年(1977年)に復元されました。
 資料室を出て玉陵に進みます。前庭では女性がひとり、陵墓に向かって祈りをささげていました。陵墓の前には二重に石垣が施され、それぞれ入口がひとつづつ設けられていました。二重目の入口手前左側には、玉陵が造られた際に定められた、被葬資格者が刻まれた碑(玉陵の碑)がありました。

 墓室は3つの部屋にわかれています。被葬資格者が亡くなると遺体は火葬にはせず、まずは中室に安置し白骨になるのを待ちます。数年から10数年後に洗骨をし厨子甕や石棺にに収め、王、王妃、世子は東室に、その他の王族は西室に被葬されました。王に敬意を払うためか、東室の前の欄干には龍や鳳凰などが刻まれ、また西室の両端の屋根上と東室の右にはシーサーがひとつづつ置かれていました。

Isidatamimichi_3  玉陵を出ると左へ、次の角を左へ、さらに突き当たりを左へ曲がり、しばらく歩くと右に下りの石段がありました。ここは金城町の石畳道として知られていて、数組の若い観光客の姿がありました。絵になる風景なので、ここで写真を撮ろうとしたのですが、残念ながら電柱や電線が邪魔で、右の写真で精一杯でした。

 この後は徒歩でモノレールの儀保駅まで戻り、牧志駅で下りて国際通りを西へ歩き、宿へ戻りました。国際通りのほとんどがみやげ物屋で、電子マネー「Edy」の普及が進んでいるのには驚かされました。

沖縄めぐり(3)美ら海水族館

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月23日 (金)

沖縄めぐり(1) 首里城公園

 2月中旬に、初めて沖縄に行ってきました。

 神戸空港発の全日空機でお昼前に那覇空港着、今回はマイレージクラブのポイントを使用したため、往復の航空券代は無料でした。モノレールで市街へ出て、昼食後予約していたホテルへチェックイン、荷物を置いてモノレールで首里駅へ向かいました。

Enkakuji_1  首里駅からモノレールの軌道を来た方向に戻り、交差点を渡って龍潭通りを進みファミリーマートのある交差点を左折、ゆるやかに丘を上がります。県立芸大の間を抜けると左に瓦屋根の門があり、その向こう側には長方形の池と、門から奥に渡された橋がありました。琉球の王家である尚氏の菩提寺で、臨済宗の総本山であった円覚寺の跡です。池のさらに奥では現在工事が行われており、数年後には境内がきれいに整備されることでしょう。

Shureimon_1  さらに進むと正面に首里城公園の出口である久慶門(きゅうけいもん)が見え、道なりに右に曲がると右側に園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)左側に首里城公園の入口である歓会門、奥に二千円札の図柄にもなった首里城第二門、守礼門がありました。
 門の上の扁額には「守禮之邦(しゅれいのくに)」の額が掲げられています。16世紀半ばに建てられて以来、朝貢関係にあった中国からの冊封使を迎えるときだけ掲げていたものを、1664年からは常時掲げ、礼節を守る邦であることを強調したそうです。現在の建物は昭和33年(1958年)の再建です。

Sapposi_doll_2Kankaimon_2 守礼門を再びくぐりスロープを上がり、歓会門をくぐります。このときは首里城花まつりが開かれていて、植物を植え込んだ人形で冊封使の行列を再現していました。先へ進むと左にシーサーの人形が、続いて石段を登り瑞泉門(ずいせんもん)をくぐると、漏刻門(ろうこくもん)の右側で竜の人形が迎えてくれました。さらに漏刻門をくぐり右側の廣福門をくぐると、下之御庭(しちゃぬうなー)に出ました。左側に3つの入口をもつ門、奉神門があり、ここで入場料を払って中に入ります。

Rokokumon_4 Zuisenmon_2Sisa_doll_2

 

 

 

Ceremony SeidenHosinmon 
 
 
 
 
 門をくぐると御庭(うなー)が目の前に広がります。地面に赤と白の横しまが等間隔に続き、中央には縦に「浮道」が貫かれ、その先には正殿がありました。冊封使を迎えるときなどは、地面の模様を利用し、右の模型のように整列したのだそうです。右には和風の番所(ばんどころ)と南殿、左には中国風の北殿があり、南殿の南には書院・鎖の間(さすのま)があります。これまで見てきた門やこちらの建物は平成4年(1992年)に復元されたもので、見学ルートは番所・南殿→正殿→北殿の順で廻ります。Usasuka_1
 正殿の中は外と同じく朱塗りで、漆で光り輝いていました。2階建てでそれぞれの階には御差床(うさすか)と呼ばれる玉座があり、特に2階の御差床は竜の絵を金箔で施した豪華なものでした。展示物で目をひかれたのが金、銀、珊瑚、水晶などの玉が施され玉冠のレプリカで、国王の威厳を感じることができました。
 北殿内にて歴史の説明と土産物屋を見て、正殿と北殿の間から外へ。右掖門(うえきもん)を通り、公園に入る前に見えた久慶門から外へ出ました。

 久慶門から右にもう一度進み、右側の階段を下りると、左右に池がありました。右が円鑑池で、弁財天を祀ったお堂がありました。左が龍潭(りゅうたん)で、水鳥や猫が遊んでいました。この龍潭のほとりを歩き、次にめざすは玉陵です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月22日 (月)

大徳寺 聚光院

Kyonofuyunotabi_2 1月8日(土)は京都の冬の観光キャンペーン「第41回京の冬の旅」の初日でした。3月18日(日)までの期間中、非公開文化財の特別公開が行われます。そこで大徳寺の聚光院へ行ってきました。
 ここ聚光院は、小生が学生のとき、京の冬の旅の期間中に案内係をした場所でもあります。方丈にはおよそ400年前に描かれた狩野松栄、永徳親子による国宝の水墨の襖絵と、重要文化財の茶室が2つ残されています。

 門をくぐり受付で拝観料600円を支払い靴を脱ぎ、方丈へ上がります。床から靴下を介して足に冷たさが伝わり、20年前の記憶が甦ってきます。中はまだ初日だというのに個人客でにぎわっていました。

 これまでの「冬の旅」では学生が案内係をしていましたが、今回は年配のかたがたが担当しています。小生はもちろん襖絵や茶室を見にきたのですが、経験上どうしてもガイド内容が気になってしまいます。以前訪れたときに「室中の間」の「花鳥図」の解釈が、四季がある、から、冬がない、に変わっているのは知っていましたが、今回上がってすぐの「礼の間」の狩野松栄筆「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」の八景のうち「4つくらいしかわからない」と案内されていたのに驚きました。
 解釈の違いもあるかもしれませんが、あらためて八景を探そうとしたところ、20年前よりも色が薄くなっているのです。特に庭側つまり左から3面めの中ほどに山があり、その上20cmくらいのところに金泥で囲まれた丸、つまり月が現され、八景のひとつ「洞庭秋月」を表現していたはずなのですが、今はほとんどわかりません。そういえば「花鳥図」でも仏間の右側の鶴の上に金泥の剥落がありますが、これもかつてはありませんでした。

 この特別公開の期間が終わるとここの襖絵は京都国立博物館に寄託されるのですが、英断だと思います。400年前の文化財を我々の代で破壊する権利はありません。俗な言いかたですが、かつては「モナ・リザ」来日の返礼としてフランスに行った名画です。聚光院で原画が見られる最後の機会、今回は土曜日でもあり落ちついて見られなかったので、もう一度すいている平日に訪問し、見とどけようと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月12日 (金)

うみたまご

Umitamago 実家に帰る途中に、大分マリーンパレス水族館「うみたまご」へ行ってきました。

 前身の大分生態水族館へはかつて訪れたことがあります。イシダイの輪くぐりや、デンキウナギの発電、テッポウウオの餌捕りなどの実験が記憶に残っています。
 最近新設されたり改装されたりした水族館は、名古屋港水族館のように海獣を充実させたり、しものせき水族館海響館のようにご当地特産のフグにこだわったりと、工夫をこらしていますが、さてうみたまごはどうでしょうか?

 当日到着したのが17時をまわっていました。平日は18時までですが、この日は祝日なので21時まで開いていました。

Umitamago_daikaiyusuiso メインの大回遊水槽は、1階、2階をあわせた深さがあり、中心の岩組みの周りを廻る魚たちを、いろいろな角度から見られるようになっていました。ひな壇に座って見られるマーメイドホールや、たまごをイメージした空間でたまご形のクッションに座って見るうみたまホールがあり、そのほかにも順路のあちこちにのぞき窓がありました。最もおもしろかったのが足下に水槽が見える短い廊下で、そこからはマダラトビエイなどを真上から見下ろすことができます。高いところがにがてなかたは、歩きたくないかもしれませんが…。アクリルガラスに傷がついて、クリアに見えないのがちょっと残念です。

MizukurageIwashi 他の水槽も、イワシの群雄やミズクラゲの展示など、照明のあてかたを工夫してじょうずに見せていました。右の写真でわかりにくければ、うみたまごのサイトの CMのページでご覧ください。このほかに笑える映像がいっぱいです。

 大きな水族館ならたいてい、海獣、つまり海生哺乳動物がいます。人に近い生物で人に慣れやすいため、どこの水族館でも人気者です。ベルーガをめあてに名古屋港水族館に出かけ、館内に5時間も滞在する客さえいます(誰のことだ?)。うみたまごにも数種類の海獣がいますが、小生のいち押しはセイウチです。
Seiuchi_baby 以前よそで見たセイウチは、大きいけれどもじっとしていて、おもしろみがありませんでした。しかしここのセイウチは違います。区画が2つに別れていて、一方にはおとなのセイウチ(母親?)とこどもが1頭いましたが、隅でじっとしているおとなに対し、こどもはおとなに甘えてみたり、水槽の中を泳ぎ回ったり、大いそがしでした。もう一方の水槽には2頭のセイウチがいましたが、片方のセイウチのひとなつっこいこと!ふつうは外から見ている人間が、水槽をたたいて中のセイウチにちょっかいを出すものですが、ここではセイウチが前脚をあわせてガラスをたたき、人間を振りむかせるのです。
 そのほかにもイルカにむかってボールを投げさせてもらうなど、寒い中でもとても楽しい思いをさせてもらいました。

 最後に、ここでお土産を買うつもりのかたは、再入館の手続きを得たほうがよいでしょう。ショップがふたつあるのですが、館内にあるミュージアムショップは、うみたまごオリジナル商品のみをあつかい、出口左にあるオープンショップは、一般商品を中心にあつかっているからです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年1月 5日 (金)

大阪市交 今里筋線

 きのうの朝は、いつもの時間に目を覚まし、いつもの時間に家を出て、いつもの時間の電車に腰を下ろしたところで気がつきました。ーあ、きょうの出勤時間は11時半だったー
 浮いた2時間半をどうやって過ごそう、と思っていたところ、思いだしました。クリスマスイブに開業し、あのぴたポン!も宣伝していた、今里筋線にまだ乗っていない。ということで今里駅へむかいました。

Imazatosen_train 今里筋線の乗り場は、千日前線ホームの北西、少しはなれたところにありました。ホームには新線らしく、転落防止の柵が取りつけられています。軌道を見ると、2本の線路の間には銀色の帯が設置され、この電磁石と車両の磁石との反発を利用した、リニアモーター駆動になっています。おなじくリニアモーター式の長堀鶴見緑地線のとよく似た、色違いの車両が入線していました。
Imazato_sta 長堀鶴見緑地線の車両に乗るといつも感じたのは、その狭さです。座席に腰掛けると、むかいのロングシートに座った人と足がぶつかりそうになります。しかし、今里筋線の車両に入ったときは、そう感じませんでした。それはこの車両に小生ひとりだったからでしょう。きょうは仕事初めの日の朝8時半です。学生が休みとはいえ、これで採算取れるのでしょうか。
 甲高いインバータの音を響かせながら、列車は滑りだしました。

Zuiko4tyome_sta 途中列車は、蒲生四丁目、瑞光四丁目という駅を通過します。以前長堀鶴見緑地線に乗っているとき、大阪府で生まれ育った友人に、なぜ蒲生に「四丁目」が付いているのか、なくてもいいじゃないか、と聞いたことがあります。帰ってきた答えは、天神橋筋六丁目が「天六」と呼ばれるように、蒲生四丁目は「がもよん」と昔から呼ばれているので「四丁目」ははずせないのだ、というものでした。
 そしてこんどは瑞光四丁目駅の誕生です。これも「四丁目」が必要なのかと聞くと、これはなくてもよいのでは、とのことでした。地図を見ると、瑞光一丁目が阪急上新庄駅前にあたるので、あえて「四丁目」をつけたのではと推察するのですが真相はいかに?
 この地名はおそらく近くにある瑞光寺に由来するのでしょうが、小生は「四丁目」はつけないほうがよかったと思います。縁起のいい駅名として、記念入場券を売りだすことができるので…。

 さて、列車は井高野駅へ到着しました。4両編成の列車に最後に乗っていたのは、小生ともうひとりでした。このまま戻ってもおもしろくないので、改札を抜け、阪急相川駅まで歩くことにします。地上に出ると、あたりは団地と住宅ばかり、ショッピングセンターさえありません。そんな中に見つけたのが銭湯の看板。もしかしたらこの団地ができた当時、各部屋には湯船がなかったのかもしれません。
Aigawa_river 西へ歩くと淀川の支流、安威川に沿う道に出て、さらに歩くと相川駅に着きました。その間15分弱、井高野ってそんなに不便なとこじゃないな、と思ったのですが…。ホームで列車を待っていると、特急、そして急行に通過され、ようやく梅田行きの普通列車に乗ることができました。やっぱり不便なところかもしれません。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年1月 2日 (火)

初詣

 年があけました。今年もよろしくお願いします。

 大晦日まで仕事だったので、せっかく奈良市内にいるのだから、と、初詣は東大寺に行くことにしました。近鉄奈良駅から東に歩き、意外に多くの人たちと宵っぱりの鹿たちの間を進むと、11時30分、南大門の前までやって来ました。すでに大仏殿前の回廊正面からここまで、参道の中央に列ができていました。
 警備のかたのアナウンスでは、回廊正面の門が開くのが0時ちょうどで、中に入るまで25分から30分かかるとのことです。元日は朝8時まで無料開放だということを、ここで初めて知りました。
Daibutsuden_1 年があける直前から列は動き始め、0時33分、ようやく回廊内に入ることができました。正面の大仏殿は、中央上方の窓が開かれ、あかりに照された毘盧遮那仏(大仏)のご尊顔を拝むことができました。(写真は携帯電話のものなので、画質が悪いことをおわびします。)大仏殿前の灯籠にも火が入り、レリーフの音声菩薩(おんじょうぼさつ)がシルエットになっています。
Onjobosatsu 線香をあげ、大仏殿の中に入ると、中は照明でかなり明るくなっていました。左へ時計回りに進むと、おみくじを販売していたので、列にならびます。かつて正月にみくじを3度引いて、2回が凶、1回が末吉だったことがあり、その年は散々だった経験のある小生は、毎年かなり真剣にみくじを引くのですが、今年は…幸い吉を引くことができました。

Daibutsu 殿内を一回りし外に出ると、かなり冷え込んでいました。大仏殿前の敷石のところでは、両側でかがり火が炊かれていたので、そこで少しの間体をあたためました。仕事の疲れと寒さで、とても春日大社まで参拝する気力がなくなってきましたので、このまま家路につくことにしました。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年11月20日 (月)

TXとゆりかもめ

 東京では、まだ乗ったことのない鉄道にも乗ってきました。5月に乗りそびれたゆりかもめと、昨年夏に開通したつくばエ