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2007年12月

2007年12月26日 (水)

『旅行人』'08年上期号(157号)

表紙:カッチ地方バンニの女性
特集:グジャラート インド、さらにその奥へ

 この雑誌が季刊から年2回刊になって最初の号です。特集はインドのグジャラート州。インドの中ではあまり観光客が来ないところらしく、だからこそこの雑誌で特集されたのでしょう。
 メインのライターは蔵前仁一編集長でした。以前にもグジャラートを訪れたことがあるそうで、ゆえに専門のライターに任せる必要もなかったのでしょう。小生も久方ぶりに、たっぷり蔵前節を堪能できました。

 特集以外で興味を持てたのは、まず渡邉義孝の「アルメニア教会建築紀行」です。旅行人ノートのシルクロード編で、モスク建築様式の変遷を解説していたのが彼だったのですが、ここでも教会の多様な構造をイラスト入りで、わかりやすく導いてくれます。
 また吉田一郎の作品は、以前「国マニア」を読んだことがあるのですが、今回の「流れ星国家の現代史」は、独立の一歩手前でついえたり、ほんの少しの間しか存在できなかった「国」について書いたものです。ここ四半世紀に限っても、意外に多くの地域が独立しようとしていたことがわかって、おもしろく読めました。

 さて、次の号の発行は6月1日ですが、どんな特集が組まれるのか、どんな作者が記事を寄せるのか楽しみです。

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2007年12月19日 (水)

『Sports Graphic Number』693号

表紙:セスク・ファブレガス(アーセナル)
特集:欧州サッカー・若き支配者たち 新創世記。

 欧州選手権予選が終わったので、そのレビュー中心かと思いきや、むしろアーセナルを中心に欧州で活躍する選手たちを特集していました。
 欧州選手権に関しては、ホームでイタリアに勝てば予選通過だった(負けた)スコットランドと、ボスニア・ヘルツェゴビナに勝てば通過だった(勝った)トルコについて、サポーターを中心に熊崎敬が採りあげています。
 さらにホームでクロアチアに引き分ければ予選を通過できたにもかかわらず敗れた、サッカーの母国イングランドについては、山中忍が記しています。
 選手の記事は若手有望株を中心に扱っていて、おもしろく読めました。

 またクラブワールドカップがらみで、パオロ・マルディーニ(ACミラン)のインタビューが掲載されていました。引退を1年伸ばしても優勝したい、という思いがひしひしと伝わってきました。

 サッカー以外では、塚原直也を採りあげたナンバーノンフィクション(文:矢内由美子)が、偉大な親との葛藤と、彼の体操にかける思いが伝わってきて読み応えがありました。

今号の名言
〇「ジュリー、私は19歳のブッフォンが欲しい。今の姿になる前のブッフォン。若いころの彼を君が探し出して育てたときに、私は世界一のゴールキーパーをこの手に持つことができる。それが君のここでの仕事だ」
 アーセナルGPコーチに就任したジュリー・ペイトンに アーセン・ベンゲル(アーセナル監督)文:田村修一
〇「昨季のCLを制した夜、つまり日本へのパスを手にした夜、僕はすぐにトヨタカップのことを考えた。スクデッドを穫り、翌年のCLを制し、そこで初めて切符を手にする。2年間に及ぶ戦いを経なければいけない、その難しさがトヨタカップの魅力なんだ」
 パオロ・マルディーニ 文:アラン・トネッティ 訳:宮崎隆司

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2007年12月18日 (火)

エプソン品川アクアスタジアム

 靖国詣での後、半蔵門線で新宿に立ち寄り、山手線で品川へ出ます。駅の北側の白い建物をぬけ、青色LEDのアーチをくぐり、左側の建物のエスカレータを上がると、エプソンアクアスタジアムの入口がありました。
 まもなくイルカのショーが始まるので、まずイルカプールへ向かいます。

Aquastairukapool_2  一般のイルカのショーブールは、ステージの前にブールがあり、そのさらに前に客席がある映画館のような形態が多いのですが、ここのはブールが円形で、その周りに飼育員の立つ場所があり、Aquastakamairukaそのさらに周りに客席があるスタジアム型をしています。はたしてどんなショーが見られるのでしょう。
 結論から言うと、いまいち迫力がありませんでした。原因はおそらく、プールが円形で奥行きがあるのでイルカが遠く感じるからでしょう。月曜日の夕方で空いていたので、もっと観客がいれば違ったかもしれません。
 そのプールでショーをしたのはオキゴンドウイルカ、バンドウイルカ、カマイルカでしたが、小さなカマイルカの他種を超えたジャンプ力には、目を見張るものがありました。

Aquastamanta  イルカのショーと訓練の後、アシカのショーまでには少し時間があるので、ほかの水槽を見て回りました。海中トンネル水槽にはサメやエイが集められていましたが、オニイトマキエイ(マンタ)がAquastasleeping_sunfish狭い水槽を回遊しているのを見て、ちょっとかわいそうになりました。 他には、眠っていて上下逆さに浮いているマンボウが目に留まりました。水槽の前には香りを発散させるしかけがついていました。

Aquastaashika_show  アシカプールでは、男女の飼育員がそれぞれ1頭づつのアシカと、コミカルなパフォーマンスをくりひろげました。イルカのショーもそうですが、ほかの水族館とちがってお勉強の要素を少なくして、ショーに徹しているのが特徴のようです。

 ショーが終わったので、ほかの水槽をゆっくりひととおり眺めてから空港に行こうと思っていると、さきほどショーに出ていたアシカの1頭が、飼育員に連れられてやってきて、Aquastakyujiパフォーマンスもみせてくれました。そして人が集まったところで、海中トンネルのサメやエイに給餌が行われました。
 次々と繰り出される客を飽きさせない工夫に好感を持ちながら、辞去することにしました。

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2007年12月14日 (金)

靖国神社

 美術館をはしごした翌日、まず出かけたのが靖国神社でした。

Yasukuni_omuramasujiro_3  時折マスコミを賑わせるこの神社に参拝しようと思った理由は、戦没者をご祭神としてお祀りするこの神社に祖父が祀られているからです。ほかにもうひとつ理由があるのですが、それはまた後で触れます。
 靖国神社は明治2年の創建です。Yasukuni_haiden_2おりしも神仏分離、排仏毀釈の嵐のさ中に建てられたので、仏教思想とは無縁のはずですが、東西に細長い境内でひとびとは西、つまり西方極楽浄土に向かってお参りするかのように配されていました。小生は大村益次郎の銅像の脇を通り、拝殿へと向かいました。平成元年に更新された屋根が輝いていました。

Yasukuni_yushukan_2  拝殿の左側にある摂社にお参りした後、右側にある遊就館に入りました。ずいぶん新しい建物で、中には「零式艦上戦闘機」と「C56型機関車」が展示されていました。チケットを買ってエスカレータを上がります。
 展示内容は、幕末から終戦までの日本を中心とした戦争の歴史で、特別攻撃のための魚雷「回天」や航空機「桜花」なども展示されていました。歴史の記述のしかたは賛否両論あるかと思いますが、訪問する価値のある施設だと思いました。外国人の来館者も見受けられ、戦勝国の彼らからはどう写るのだろうと気になりました。

 遊就館を出て、参道を引き返します。境内の入口、東京理科大と向かいあうところに第一鳥居があります。靖国を訪れたもうひとつの目的はこの鳥居でした。

Yasukuni_daiiichitori_2  以前鳥居について書いたことがあります。そのとき高さの順位づけをしたのですが、ネットサーフィンをしているうちに、新たに高い鳥居が見つかってしまいました。そのひとつがこの第一鳥居だったのです。公称25m、遊就館の中の売店で販売されていた書物にもそう書いてあったので、25mで間違いなさそうです。実際目の当たりにすると、柱は太くないものの、それなりの高さはありそうです。
 ほかにもうひとつ、兵庫県高砂市の鹿嶋神社にチタン製の鳥居があり、神社と製造メーカーのサイトのどちらにも高さは26mと記述されています。
 よって、以前掲示したランキングをここで再度訂正させていただきます。

鳥居の高さランキング(改訂3版)

1.熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ・和歌山県田辺市)
  33.9m 平成12年(2000年)
2.大神神社(おおみわじんじゃ・奈良県桜井市)
  32.2m 昭和61年(1986年)
3.弥彦神社(やひこじんじゃ・新潟県弥彦村)
  30.2m 昭和57年(1982年)
4.最上稲荷(さいじょういなり・岡山県岡山市)
  27.5m 昭和47年(1972年)
5.鹿嶋神社(かしまじんじゃ・兵庫県高砂市)
  26.0m 平成10年(1998年)
6.靖国神社(やすくにじんじゃ・東京都千代田区)
  25.0m 昭和49年(1974年)
6.神柱宮 (かんばしらぐう・宮崎県都城市)
  25.0m 昭和54年(1979年) 
8.古峯神社(ふるみねじんじゃ・栃木県鹿沼市)
  24.6m 昭和49年(1974年)
9.平安神宮(へいあんじんぐう・京都府京都市)
  24.2m 昭和4年(1929年)
9.豊国神社(とよくにじんじゃ・愛知県名古屋市)
  24.2m 昭和4年(1929年)

 このデータに誤りを見つけられたときは、コメントにてお知らせください。

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2007年12月 9日 (日)

『サッカー批評』36号

表紙:Jリーグの選手、監督、サッカ関係者ほか
特集:サッカー誌が書かないJリーグ批評

 特集の前に掲載されていたのが、イビチャ・オシム前日本代表監督と、セルジオ越後のインタビューでした。  オシムへのインタビュー(文:西部謙司)は、これまでの回顧と今後についてでした。もはや彼の手によって選手が選ばれ、起用されることはありませんが、今後彼が「ある程度の目処はついた」と語るメンバーが、岡田武史によってどのように入れ替わるか、注目したいと思います。
 セルジオ越後へのインタビューは(文:宇都宮徹壱)筆者も「こちらは防戦一方」と書いているとおり、彼の意見を一方的に聞かされる内容でしたが、彼が「J1リーグのクラブの数、4チーム減らしてみてください。いい選手はみんなJ1に来るよ。レベル上がるよね」という意見は、傾聴に値すると思います。2010年までにJリーグを36チームにする目標のようですが、18×2よりは14+12+10のほうがまだ、切磋琢磨できそうに思えるのです。

 ところで特集の中で、同じ筆者に鬼武健二Jリーグチェアマンが「16チームになったから面白いゲームが増えるというわけでもない。むしろ18でそれをやらないと。18や16ではなくて、もしかして14のほうがいいという意見が出てくるかもしれない」と言っているのも触れておきます。
 この特集の中では、いま旬になった人物やクラブの記事が目につきました。J1で優勝したクラブの「鹿島アントラーズの苦悩」(文:元川悦子)と、入れ替え戦で昇格を決めた京都サンガFCの監督の「加藤久からのメッセージ」です。鹿島が今季優勝するに至る過程、加藤の試行錯誤がよくわかりました。
 他の特集記事では「海外移籍の現実」(文:山内雄司)が、移籍経験者の廣山望(東京ヴェルディ1969)安永聡太郎と、代理人の田邊伸明を通して問題点を浮き彫りにしていておもしろかったです。

 特集以外では個人的に「今井恭司写真館 1985年10月26日 夢の終わりと新たな夢への門出」(文:大住良之)が気になりました。この日はメキシコワールドカップのアジア最終予選での、国立競技場での初戦、木村和司のフリーキックが伝説となった日です。
 「この年(1984年)の9月に日韓定期戦で2−1の勝利を得たことで、事態は急変した。木村和司のFKで先制し、水沼貴史が決勝点。日本代表にとって、ソウルで初めての勝利で、協会はもういちど森(孝慈)に指揮をとらせることを決断した」と、この記事にあります。実は小生が初めて見た代表戦がこの試合で、しかも日本が勝ったので「日本って以外と強いんだな」と思ったのでした。そのときのチームは実際に強く、ついに最終予選の韓国との2試合を迎えたのでした。
 予選の間たびたび木村のFKが決まるのを見ていたので、小生は前記のFKが決まったときも「決まってあたりまえ」と思っていました。むしろその1点よりも、あと1点いかに取るかが気になっていました。
 結局日本はワールドカップに出られず、その後はなぜか弱くなったので、Jリーグの発足までの小生の関心は、毎年の天皇杯の決勝だけになってしまいました。そんなことをこの記事は思い出させてくれました。

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2007年12月 5日 (水)

『Sports Graphic Number』692号

表紙:田中マルクス闘莉王(浦和レッドダイヤモンズ)
特集:Jサッカー特別編集 我らの証。

 野球に続くFinal特集です。といっても事実上、アジアチャンピオンズリーグを獲った浦和特集で、正直ちょっとくどかったです。J1で浦和が優勝すると思ってそうしたのか、商業的にそうしたのか、鹿島の優勝を見越して浦和をやっとこうと思ったのかはわかりませんが。
 ただACLの記事に関しては、浦和サポーターがイラン人に与えた影響についての記事(文:熊崎敬)が印象に残りました。  他には大久保嘉人(ヴィッセル神戸)が変わった、という内容の記事(文:畠山直毅)が、彼の性格が伝わってきておもしろく、また柏レイソルと石崎信弘監督について書いた城島充の記事も、読ませました。

今号の名文
〇「失点したのに、なんで歌ってられるんだ」>隣のイラン人が眉をひそめた。>「俺たちは失点したら、文句だらけで応援なんかやめちまう。どうして日本人は……」>日本人の僕には、彼らを納得させる言葉が見つからない。
 イスファハンでのセパハンvs.浦和レッドダイヤモンズのスタンドにて 文:熊崎敬
○ベテランのカメラマンから興味深い話を聞いた。ダルビッシュの投球フォームをきちんとカメラに収めるのはむずかしいというのだ。>「腕が体の前に出てくるのがほかの投手よりもずっと遅いので、普通の感覚でシャッターを切ると、全然タイミングが合わない」
 ダルビッシュ有(北海道日本ハムファイターズ)について 文:阿部珠樹

今号の名言
〇「わしは常勝軍団なんて作りとうない。だって常に勝ってたら面白くないでしょう。サポーターには叱られるかもしれんけど、たまに勝つから面白い(笑)。
 石崎信弘 文:城島充

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2007年12月 4日 (火)

アムステルダム国立美術館所蔵 フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展

The_national_art_center  上野から東京メトロ日比谷線で六本木へと移動、徒歩で国立新美術館へ向かいます。徒歩10分ほどで、この2週間前に亡くなった黒川紀章設計の、曲面ガラスに覆われた建物が見えてきました。
Inside_the_national_art_center_2  この新しい建物の中では、さすがに日本一の広さを誇るだけあって、表題の展覧会ほか、2つの展覧会が開かれていましたが、やはり美術館のはしごはつらく、ひとつに絞ることにしました。

 かつて小生はアムステルダム国立美術館に行ったことがあり、そのときに「牛乳を注ぐ女」を見ているはずですが、残念ながら記憶があいまいです。そのときの小生の関心はブリューゲルにあり、フェルメールにしても「真珠の耳飾りの少女」のあるマウリッツハイス美術館の印象があまりに強く、アムステルダムではレンブラント「夜警」の大きさに圧倒されたことくらいしか印象にありません。現在当美術館が改築中ということで、その至宝のひとつ「牛乳を注ぐ女」が来日したのですが、「夜警」は無理にしても、ほかにもっと借りられなかったのかな、と思いました。きっと入場料は倍になるでしょうけれど。

Vermeer_2 ところで今回の展覧会では、この絵について詳しく分析、紹介しています。概要はこのサイトに書かれていますが、光が当たるパンのあたりが点で描かれていること、左下のテーブルが台形をしていることなど、解説を聞くまでまったく気づきませんでした。

 この絵が展示された先には当時の楽器の展示スペースがあり、同時に「牛乳を注ぐ女」の絵が描かれた部屋が再現されていて、これもおもしろい趣向でした。ただ床の模様が市松になっていたのがめだっていましたが。

 フェルメール以外では、ニコラース・ファン・デル・ヴァーイ「アムステルダムの孤児院の少女」、クリストッフェル・ビスホップ「日の当たる一隅」の、2枚の少女の絵が印象に残りました。

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